les signes parmi nous

堀 潤之(Junji HORI) 映画研究・表象文化論

『ゴダール・ソシアリスム』関連資料(1) TEXTOS

来る12月18日に日本公開される『ゴダール・ソシアリスム』Film Socialismeについての短評を、表象文化論学会のウェブ上のニューズレターに寄せた。

堀 潤之「イメージの社会主義——『ゴダール・ソシアリスム』をめぐって」、『REPRE』11(2010年12月)、(全文

5月半ばにパリで公開されて以来、カルチエ・ラタンの映画館シネマ・デュ・パンテオンで、それから9月末にフランスで出たDVDで、この作品とはおよそ半年間にわたって濃密なつきあいを続けてきた。映画公開と同時にP.O.Lから出た採録本(といっても、台詞の中身が句読点なしに載っているだけで、ト書きはおろか、話者の名前さえ載っていない代物)を参考にしながら、オフの声が非常に多いため、苦労してなんとか話者を割り出しながら、字幕製作の参考のための下訳(勘違いや間違いだらけの、ひどい代物!)を作ったことも、今となってはもはやよい思い出だ。その後、映画の公開に合わせて発売されるパンフレットに、シナリオ採録を載せる機会を得た。86に及ぶ注釈付きのこの採録を読めば、多くの観客にとって何かしらの発見があるだろう(もちろん、注釈部分を無視して映画だけを追体験するのも自由だ)。ただ、その採録では、『ゴダール・ソシアリスム』における多種多様なイメージの体制の混在については残念ながら触れる余地がなかったので(映像の解像度等についていちいち触れるとあまりにも煩わしいので)、上記の短評はその点を補うためのものでもある。ともあれ、非常に密度の濃い本作をめぐっては、書きたいことがまだたくさんあり、今後、このブログでも他のいくつかの論点を取り上げたいと思っている。

新ドイツ零年 [DVD]ゴダール作品の採録には、『ゴダール全集』(蓮實重彦・柴田駿監訳、竹内書店、1970-71年、全4巻)の1〜3巻を筆頭に、長くて豊かな歴史がある。採録とは、定義からして、映像と音の獰猛な奔流(の痕跡)をなんとかして紙面に定着させようとする無謀な試みであるのだが、近年のゴダール作品のような引用でできた高密度の結晶体を相手にするときには、なおさら困難が増す。『映画史』公開時に発売された『ゴダール 映画史 テクスト』(共訳・注釈、愛育社、2000年)や、『新ドイツ零年』DVDの付属冊子の採録紀伊國屋書店、2002年)のときは、採録の対象を「文章」の要素にほぼ限定することで、その困難をある意味では迂回するという選択をした。今回の採録は、あくまでもわたし自身の印象としては、映像も含めた作品そのものに以前よりは近づけたような気がしている。

さて、この『ゴダール・ソシアリスム』には、冒頭のクレジット場面で「TEXTOS」「VIDEOS」「AUDIOS」として、それぞれ文章、映像、音楽の引用源が明かされている(とはいえ、すべてが網羅されているわけではないことには留意しなければならない)。ただ、そこには著者名、映画作品名、作曲家名しか登場せず、劇場で販売されるパンフレットの「引用一覧」でもその方針を踏襲している(それは完全に調べがつかなかったからでもある)。野暮なことではあるが、まずは「TEXTOS」に限り、分かる範囲で情報を補っておきたいと思う(続けて「VIDEOS」についてもエントリーを立てるつもりだが、「AUDIOS」については曲名などまでは調べていないものが多いので未定)。上述のシナリオ採録の注釈には、ここにまとめる以上に詳しい情報が載っているので、そちらも合わせてご覧いただきたい。

ゴダールに関しては、昔から、引用源など分からない方がよいのだという考えが根強く、それに一理あることはわたしも理解している。確かに『気狂いピエロ』や『カルメンという名の女』の無数の引用源をすべて知っていたとしても、それは好事家的な自己満足の域を出ないかもしれない(わたし自身はそれも嫌いではないが)。だが、1990年代以降の作品に限って言えば(なかんずく『新ドイツ零年』、『映画史』、そして本作)、元の文脈を知っておくことが作品の理解にとって不可欠であることも多い。といっても、ゴダールが断片化してみずからの作品に放り込むテクストを、オリジナルの「正しい」文脈に沿って解釈することが重要だと言うつもりは毛頭ない。むしろ、ゴダールがどのようなテクストを選択し、それをどのように切り取り、加工し、順番を変え、意味をずらし、転用しているのか、その操作を見極めるためにこそ、引用源を知ることの意義がある(だが、そのためにはいったん知った引用源を忘れる技術も必要である)。そして、ゴダールがテクストを自在に操作する手つきは、彼が映像と音を操作する手つきに等しいはずなのだ。そのことは、『映画史』以降、ゴダールが糊と鋏とフェルトペンで、映画で使用するテクストをどのように準備しているかを垣間見るだけで察せられる。

さらに、『ゴダール・ソシアリスム』に関して言えば、P.O.Lの採録本には「著者の顔との対話」Dialogues avec visages auteursという奇妙な副題が付いており、テクストの引用箇所におおむね対応するかたちで、その著者たちの顔写真がちりばめられている。したがって、その顔を見れば、どの文章が誰からの引用なのか、だいたい察しが付くようにできている(といっても、原書の32頁と69頁の人物だけはわたしにも誰だか分からず、非常に気になっているので、ご存じの方がいらしたらぜひご教示ください)。1990年代以降、主としてP.O.Lから採録本が出る場合は、引用箇所を明示することなく巻末に著者のリストが付いているだけというのが普通だったが、今回はさらに一歩進んで、遊び心のあるやり方で引用箇所が明示されているとも言える。

ともあれ、引用源をざっと見渡すだけでも、さまざまな随想を巡らすことができる。「ゴダールの書斎」でもはや確固たる地位を占めているジロドゥー、ペギー、アラゴン、ベルナノス、ド・ルージュモン、マルローといった作家たちの存在はもちろん、ベンヤミンアーレント、それから(クレジットされていないが)ゲルショム・ショーレムシモーヌ・ウェイユといったユダヤ系の著者たちや、フェルナン・ブローデル、フランソワ・フュレ(これも未クレジット)、さらにはゾエ・オルデンブルクといった歴史家たちへの関心はすぐさま見て取れる。他にも、リムスキー=コルサコフベートーヴェン(未クレジット)の音楽論を別の文脈に転用したり、カッサンドラ(クリスタ・ヴォルフ)、コーディーリア(シェイクスピア)、アンティゴネー(未クレジットだが、ジャン・アヌイと、ヘルダーリンブレヒトストローブ=ユイレを介して)といった抵抗する女性たちの肖像にこだわっているあたりも興味深い。以下、リストを掲げておく。
TEXTOS

著者名 登場箇所 メモ
ヴァルター・ベンヤミン 第3楽章(ギリシャ ギリシャ悲劇の主人公について。正確にはAntonia Birnbaumのベンヤミン論より
ジャック・デリダ 第1楽章 フッサールの『幾何学の起源』の仏訳
ジャン=ポール・キュルニエ 第1楽章? タイトルの決定に一役買った哲学者だが、引用箇所は不明
ロラン・デュビヤール 第1楽章? 「私は一度、無に出会った」という文章が、この特異な劇作家からの引用と思われるが、詳細不明
ハンナ・アーレント 第1楽章 「私はいかなる民族も好きではない」(ショーレム宛て書簡)
オットー・ビスマルク 第1/2楽章 「ああ、ドイツよ」
ジャン=ポール・サルトル 第1楽章 弁証法、全体と部分
レオン・ブランシュヴィック 第2楽章 「他方は一方の中にあり、一方は他方の中にある。それが三つの人格である」
ジャン・ジロドゥ 第1楽章 「幸福なヨーロッパ」
ジャン・タルデュー 第2楽章 ムッシューがムッシューに尋ねる」
シャルル・ペギー 第1楽章 「文章ほど便利なものはない」
ルイ・アラゴン 第3楽章(オデッサ 「検電器の十月」
S・リュラック 不明 不明
アンリ・ベルクソン 第1楽章 物質と記憶』の末尾
ジョルジュ・ベルナノス 第2楽章 歓喜』より
ドゥニ・ド・ルージュモン 第3楽章(オデッサバルセロナ 『手で考える』より
クリスタ・ヴォルフ 第3楽章(ギリシャ 『カッサンドラ』より
リムスキー・コルサコフ 第3楽章(パレスチナ 「2声のための作曲」
フェルナン・ブローデル 第3楽章(エジプト、ナポリ スーダンの砂金」、「長期持続」
クロード・シモン 第1楽章 ルネサンス期のドイツ絵画の称揚
ニール・ガブラー 第1楽章 「ハリウッドを作ったのはユダヤ人だ」(これは引用というよりも、参考文献と思われる)
ルイジ・ピランデッロ 第2楽章 『作者を探す6人の登場人物』の序文より
ポール・リクール 第2楽章 「近親者」について。『記憶・歴史・忘却』より
サミュエル・ベケット 第2楽章 『イマージュ』の末尾より
アンドレ・マルロー 第3楽章(バルセロナ 『希望』より
クロード・レヴィ=ストロース 第1/3楽章(パレスチナ イスラムは東洋の西洋」/ヤーコブソン言語学講義について
ジョゼフ・コンラッド 不明 不明(第2楽章のヘンリー・ジェイムズとの勘違いかと思われる)
ウィリアム・シェイクスピア 第2楽章 リア王』より
マルティン・ハイデガー 第1楽章 「哀れな物たち…」
ラ・ロシュフコー 第3楽章(エジプト) 「太陽と死は直視できない」
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 第1楽章 『タウリス島のイフィゲーニエ』より
クルツィオ・マラパルテ 第3楽章(ナポリ 『皮』より
ジャン・ジュネ 第3楽章(エジプト/パレスチナ 『恋する虜』より
ゾエ・オルデンブルク 第3楽章(パレスチナ 『十字軍』より