les signes parmi nous

堀 潤之(Junji HORI) 映画研究・表象文化論

ゴダールの「反ユダヤ主義」?

今日、ウェブ上に公開された表象文化論学会のニューズレター『REPRE』の第25号に、4月の上旬にミネルヴァ書房から刊行された論集『映画とイデオロギー』(加藤幹郎監修・杉野健太郎編)の紹介文を寄せた。ほぼ同時期に同じ叢書で刊行された『映画とテクノロジー』(加藤幹郎監修・塚田幸光編)も紹介されている。さらに、同じ号には、わたしも寄稿した『クリス・マルケル 遊動と闘争のシネアスト』(金子遊・東志保編・港千尋監修、森話社、2014年)の東氏による紹介文も掲載されている。

論集『映画とイデオロギー』には、わたしはゴダールと「ユダヤ人問題」についてまとめた論文を寄稿している。書誌情報は以下のとおり。

堀潤之「ゴダールの「ユダヤ人問題」──歴史のモンタージュとの関わりを中心に──」、加藤幹郎監修・杉野健太郎編『映画とイデオロギー』、ミネルヴァ書房、2015年4月、247-275頁

編者の「はしがき」から、拙論の概要を記した部分を引用させていただく。


堀潤之「ゴダールの「ユダヤ人問題」――歴史のモンタージュとの関わりを中心に」(第8章)は、ゴダールユダヤ人問題を取り上げる。
本章の出発点となっているのは、映画作家ジャン=リュック・ゴダールが、2009年から2010年にかけて、アメリカとフランスのジャーナリズムで反ユダヤ主義の嫌疑をかけられたという出来事である。そうした告発がなされる背景としては、ゴダールが特に『映画史』(Histoire(s) du cinéma, 1988-98)以降、ナチスによるユダヤ人大虐殺をはじめ、20世紀にユダヤ人がたどった歴史に強い関心を示す一方で、特に1975年に完成したパレスチナをめぐる実験的作品『ヒア&ゼア・こことよそ』(Ici et ailleurs, 1975)では、激烈な反シオニズム・親パレスチナイデオロギー的立場を表明していたという、いささか込み入った状況がある。
本章では、まずアメリカのジャーナリズムによってゴダールに対してなされた「反ユダヤ主義」の告発の言説がいかに杜撰なものにすぎないかを指摘し、その過程でとりわけ、『ヒア&ゼア』で公開当時から物議を醸したあるシーンを再検討する。
次いで、主にフランスで問題視されたゴダールのある発言――ガス室に連れて行かれるユダヤ人犠牲者たちを、パレスチナにおける自爆テロリストと比較するショッキングな発言――を取り上げて、「モンタージュ」によって歴史にアプローチしようとするゴダールの方法論が迷走してしまった事例として批判的な検討を加える。
最後に、ユダヤ系の哲学者・作家ベルナール=アンリ・レヴィによるゴダール擁護の試みを引き合いに出し、彼が報告するいくつかの未実現の企画の紹介を通じて、近年のゴダールがどれほど「ユダヤ人」という形象に対して真摯な関心を抱き続けているのかを確認する。
本章は全体として、ホロコーストパレスチナ問題という、異なったイデオロギー的立場が鋭く対立している歴史のトポスに対して、独自の映画的表象がどのように向き合うことができ、またそこにどのような陥穽が潜んでいるかについての興味深い事例を提供している。

(杉野健太郎氏による「はしがき」x-xi頁より抜粋、改行は適宜加えた)

右上に掲げた図版は、2010年11月2日の『ニューヨーク・タイムズ』紙の一面。論文中でも触れた、ゴダール反ユダヤ主義についての記事(Michael Cieply, “An Honorary Oscar Revives a Controversy,” The New York Times, November 2, 2010)の冒頭部分が赤枠で囲った部分に載っている。参考までに、赤枠部分を拡大した画像も載せておこう。

ヨーロッパには、パレスチナ側に加担した途端に反ユダヤ主義のレッテルを貼られるという「空気感」もあるのだが、ことゴダールをめぐっては、モンタージュによる歴史叙述という彼の方法論がはらむ根本的なイデオロギー的曖昧さが、さらに事態を複雑化しているように思う。肝心なところで腫れ物に触るような感じになってしまった反省はあるが、いくつかの「論争」(というほどのものでもないのだが)の事実関係と基本的な構図に関しては、この論考で多少とも明瞭になったのではないかと思う。

ついでに、少し前のアウトプットについても触れておく。まず、7月上旬にゴダールの『さらば、愛の言葉よ』のBlu-rayディスク(およびDVD)が発売されたが、そこに含まれている「新規解説書」はわたしが執筆したものである(わたしの名前はアマゾンなどのウェブ上にも、パッケージにも書かれていないので、購入して実際に解説書を開いてみるまで判らないのだが……)。

内容的には『ユリイカ』2015年1月号に載せた拙稿(このエントリーを参照)に加筆し、再構成したものである。

その加筆部分に書いたことだが、『さらば、愛の言葉よ』の原題である「さらば、言語よ(Adieu au langage)」は、もしかしたら、パレスチナ問題についての、あるいは「ユダヤ人であること」についてのマルセル・オフュルスとの共同企画のタイトルになったかもしれないものなのだ。そのことはゴダールマルセル・オフュルスの対談本であるDialogues sur le cinéma (Le bord de l'eau, 2011)に書かれている。

この本が収録している2つの対談のうちのひとつ(2009年にジュネーヴで行われたもの)を元に作られたドキュメンタリー映画サン・ジェルヴェ劇場での出会い』La Rencontre de Saint Gervais (2011)は、今年の2月に日本語字幕を作成して、神戸映画資料館でレクチャーとともに参考上映させていただいた(概要はここ)。ゴダールが79歳、オフュルスが82歳になる年に行われたこの対談は、闊達なユーモアを交えながら(若い頃、周囲と口論ばかりして、大量のファックスを送りつけるのが常だったので、喧嘩相手から思わず(マックスとかけて)「ファックス・オフュルス」と呼ばれたことがある、とか)、潰えた共同企画の思い出を巡って、次第に狐と狸の化かし合いのような様相を呈していく……。

上映時のレクチャー「ゴダールマルセル・オフュルス――戦争の記憶と映像の世紀」は、『哀しみと憐れみ』(1969)から、ゴダールが絶賛している『ホテル・テルミニュス』(1988)を経て、最新作の『ある旅人』(2013)に至るまで、マルセル・オフュルスの経歴とその第二次世界大戦の記憶に対するアプローチの仕方をざっとたどるのが主な目的で、オフュルス/ランズマン/ゴダールの三つ巴の絡み合い(人生の上での、および歴史に対するアプローチの上での)については簡単に触れるだけで終わってしまったが、その点は今後さらに探究すべきであろう。