les signes parmi nous

堀 潤之(Junji HORI) 映画研究・表象文化論

『アンドレ・バザン研究』第1号の刊行

この春に刊行した『アンドレ・バザン研究』第1号(特集「作家主義再考」、非売品)に、以下の翻訳(解題つき)を寄せた。この研究誌の入手方法も含めた詳細については、アンドレ・バザン研究会の別ブログを参照してほしい。このエントリーでは、わたしが執筆した編集後記の全文も公開している。

1948年に書かれたアストリュックのいわゆる「カメラ万年筆」論は、ヌーヴェル・ヴァーグの淵源のひとつとして名高く、その内容もある程度は知られていたが、半世紀以上にわたって未邦訳のままだった。2016年にアストリュックが92歳で亡くなって、なんとしてでもこのテクストだけは訳さなければと思ってからはや一年近くが過ぎたが、この才気煥発な歴史的文書がようやく日の目を見たことを嬉しく思う。

アストリュックに関しては、その間、短い追悼の文章を書く機会も得た。「カメラ万年筆」論の解題と一部重複するが、追悼文の書誌は以下の通り。

  • 「アレクサンドル・アストリュック 「カメラ万年筆」の時代の到来を高らかに宣言」、『キネマ旬報』、2017年2月下旬号(1739号)、210-211頁

とはいえ、『アンドレ・バザン研究』第1号の白眉は、内容的にも分量的にも、間違いなくバザンの「作家主義について」(野崎歓訳)とアンドリュー・サリスの「作家理論についての覚え書き、一九六二年」(木下千花訳)である。半世紀以上前の文章だが、ともにアクチュアリティを保っている。四方田犬彦氏の「映画は監督のものである」(『日本映画は信頼できるか』所収、現代思潮新社、2017年、39-59頁)と併せて読むとよいだろう。