les signes parmi nous

堀 潤之(Junji HORI) 映画研究・表象文化論

『ゴダール・ソシアリスム』ブルーレイ版の発売ほか

以前、このエントリーでも触れた『ゴダール・ソシアリスム』のブルーレイ版紀伊國屋書店)が、数度の延期を経てようやく発売された。全44頁の封入リーフレットには、中条省平氏によるゴダール・フリートーク(2010年11月27日実施)の採録(4-19頁)と、私が執筆した解説(22-42頁)が収められている。

中条氏のトークは、『勝手にしやがれ』上映前に行われた経緯もあって、『気狂いピエロ』などの60年代ゴダールの革新性を振り返ることから始まり、『ゴダール・ソシアリスム』の別のやり方での革新性にまで話が及ぶ、たいへん見通しのよい内容である。

他方、私の解説は、以前に書いたもの(『REPRE』の記事や、この論文[PDF]など)と内容的に重複する部分もあるが、イントロダクション的な事柄などを書き足し、枝葉末節を削り、また配給会社経由で入手した2007年7月付けの「シナリオ第2稿」と銘打たれた16ページのタイプ原稿の紹介・分析を追加した。この準備稿は、『ゴダール・ソシアリスム』が構想段階でどのような姿を取っていたのかを伝える資料としてとても興味深いものだった。

なお、当初収録予定だった劇場パンフレット所載の採録シナリオは、製作の最終段階で浮上した「権利の問題」とやらで慎重な判断が下され、残念ながら転載できないことになった。ゴダール著作権という概念自体を否定していることを考えれば、皮肉な顛末である。

他方、ドイツ語圏では、P.O.Lから出た「採録本」(といっても、話者も特定されず、シーンに分かれていたりもしない代物)のドイツ語訳が、チューリヒの意欲的な人文学系出版社のdiaphanesからすでに出ているが、ただ訳しただけの本にそんなに受容があるのだろうかと余計な心配をしてしまう。なお、ズーアカンプの映画部門からDVDも出るようだ。

著作権と言えば、ゴダールはフランスの違法ダウンロード対策法、いわゆるアドピ法に反対の立場を鮮明にしている。といっても、この強権的な法律で問題になっているのは、たとえば違法コンテンツの度重なるダウンロードによって3回目の警告を受けたユーザーへの強制的な回線遮断措置の是非とか、作品の創造・配布・流通に対するネットの新たな活用法をむしろ阻害するとかいったことなので、そもそも著作権や相続そのものに反対しているゴダールの立場は、アドピ法をめぐる議論とはほとんどかみ合っていない。

だが、ゴダールほどの人物が反アドピ陣営に加わることの象徴的な意味合いは大きいと見えて、『リベラシオン』紙に載ったアドピ法反対の宣言文――パウロ・ブランコシャンタル・アケルマンジャン=ピエール・リモザンカトリーヌ・ドヌーヴらが署名している――を起草したことでも知られるジュアン・ブランコの小著『アドピへの応答』(ここで書物全体のPDFを合法的にダウンロードできる)の巻末でインタヴューに応じている。しかし、著作権をめぐる話題よりも、インタヴュー末尾でゴダールが3Dに関しては『ピラニア』を見たといい、次回作『言語よさらば』Adieu au langageを3Dで撮りたいと語っていることの方が興味深い。

なお、1月には、ゴダールマルセル・オフュルスが2002年と2009年に交わした2回の公開対談を収めたドキュメンタリー中編(監督はフレデリック・ショファとヴァンサン・レーヴィ)の採録本ボルドーの出版社から刊行された。マックス・オフュルスの『快楽』Le Plaisir (1951)の思い出や、2人の間にあり得たかもしれない共同監督作品をめぐる話など興味は尽きないが、とりわけ興味を惹かれるのは、マルセル・オフュルスの名を高らしめた『憐れみと哀しみ』Le chagrin et la pitié (1969)に同時代的にはむしろ批判的だったゴダールが、クラウス・バルビーを扱った彼の『ホテル・テルミニュス』Hôtel Terminus (1989)をクロード・ランズマンの『ショアー』以上にすばらしい映画だとして絶賛していることだ。ここには、ゴダールがその間、第二次世界大戦の記憶と歴史への関心を次第に深めていった事情が反映している。この対談については、映像を見てからまた立ち戻りたいと思う。

また、アンヌ・ヴィアゼムスキーブレッソンの『バルタザールどこへ行く』への出演体験をもとに書いた小説『少女』(この小説については、以前のエントリーを参照してほしい)からはや5年、同じく先月には、今度はゴダールとの出会いを題材にした『Une année studieuse』が、あっけないほど予想通りに出版された。読み始めてみると、今回の小説もとりあえず面白い。だが、ブレッソンは神秘に包まれた存在だっただけに、小説のキャラクターとして魅力があった。それに対して、ゴダールの私生活はこれまでにもさんざん暴かれてきたということも手伝って、読了すれば印象もまた変わるかもしれないが、今度の小説は単にゴシップ的に面白いというにすぎないような気もする。