les signes parmi nous

堀 潤之(Junji HORI) 映画研究・表象文化論

『ゴダール・ソシアリスム』関連資料(5) MISC.

ゴダール・ソシアリスム』の関連資料(5) Miscellaneousとして、最後にいくつかの小ネタを紹介する(あわせて関連資料(1)TEXTOS(2)VIDEOS(3)AUDIOS(4)BIBLOSもご参照ください)。

  • まず、第1楽章の豪華客船は、企画段階では「ゴールデン・ウェブ号」という名前が付いていたようだが、完成作ではその名前が出てくることは一度もなく、「コスタ・コンコルディア号」という撮影に使われた客船の名前がいくつかのショットで目に入る。この船の概要は、コスタクルーズ社のホームページで見ることができる(なんと日本語にも対応している)。船内の各部分を写真と360度の画像で見ることもでき、何度も出てくるビュッフェ・レストランやアトリウム(船内の吹き抜け)、アリッサが倒れ込むプールやアラン・バディウが講演するからっぽの講堂、諜報員たちが情報交換するインターネット・コーナーなどを確認することができる。


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  • ゴダールが大いなるスポーツ・ファンであり、またテニスの腕前は相当のものであるらしいことはよく知られている。本作の第2楽章で母親を演じるカトリーヌ・タンヴィエ——ゴダールは2007年の誕生日に彼女を招待し、役のオファーをしたらしい——は元テニス選手だが(その「演技」については「ノーコメント」*1)、彼女のヴィデオ・インタヴューによれば、撮影の合間に、ゴダールとは「2日に一度」のペースで「Tシャツがぐっしょりする」ほどテニスに興じたというから驚きだ。他方、ゴダールとサッカーの関わりも根深い。『アワーミュージック』では「共産主義はウェンブレーでブダペスト・ホンヴェードがイギリスを打ち負かした2×45分間だけ、真に存在した」(大意)というコメントがあったが、本作では第3楽章の「バルセロナ」のパートで、FCバルセロナイニエスタマンチェスター・シティとの対戦中に転倒するシーンがスローモーションで、ベラスケスの侍女とモンタージュされて登場する。サッカー専門誌『So Foot』のこの記事は、『ゴダール・ソシアリスム』について書かれた文章で、イニエスタに注目した唯一のものではないか。終戦の瞬間にゴダールはサッカーの試合の最中でゴールキーパーをしており、「戦争が終わった!」と誰かが告げに来たので振り向いたときに、ゴールを決められてしまったという「原光景」のエピソードの紹介など、内容的にも面白い。

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  • 女と男のいる舗道』(62)のブリス・パランから、『中国女』(67)のフランシス・ジャンソンを経て、『アワーミュージック』(04)のマフムード・ダルウィッシュにまで至る、ゴダール作品に出演する知識人の系譜に、本作では哲学者のアラン・バディウが加わっている。誰もいない講堂で幾何学の起源について講演する数秒間のイメージ(それは客船の紹介ビデオを見る大勢の乗客たちとモンタージュされている)が最も目に付くが(写真左)、『物質と記憶』の最後の文章が少年によって読まれているシーンで机に向かっているシルエットの人物もアラン・バディウだ(写真右)。バディウはここ数年間で世間的にも急速に知られるようになっていたので(特にサルコジ批判で)、いかにも時流にさといゴダール的な選択とも言えるだろうが、それだけでなく、毛沢東主義への傾倒から、近年、言われなき「反ユダヤ主義」の誹謗をくらっているところまで、二人にはより本質的な類似性があるようにも思われる。なお、バディウは映画についての文章も多く著しており(近年はL'Art du cinémaという雑誌を拠点としている)、最近、アントワーヌ・ド・ベックの編纂によって、Alain Badiou, Cinéma (Nova editions, 2010)にまとめられた。冒頭に新たに付されたインタヴューで、バディウが『ゴダール・ソシアリスム』への出演について触れて、「数秒間、わたしが机に向かって仕事中のとき、自分がこれほど自分自身であるような自分の映像を見たことがなかった」(p.21)と述べていることも付け加えておこう。(【12/20追記】バディウの映画本の出版をきっかけに、映画批評家のミシェル・シマンとアラン・バディウとのFrance Cultureでのラジオ対談が、つい一昨日オンエアされた。ここで聞くことができる。39分くらいから6分強にわたって『ゴダール・ソシアリスム』への出演体験について語られている。)
  • 最後に、『ゴダール・ソシアリスム』と直接関係はないものの、最近ゴーモンから発売されたゴダールの10枚組のDVDボックスにも触れておこう。このボックスに入っている長編で、日本のDVDで見られないものはない。だが、短編の『怠けの罪』(61)、『立派な詐欺師』(63)、『ジェーンへの手紙』(72)、『「勝手に逃げろ/人生」のシナリオ』(79)、『ウッディ・アレン会見』(86)は、少なくとも日本のDVDではこれまで見られなかったはずだ。さらに特記すべきは、10枚目のディスクが2時間におよぶゴダールへのインタヴューに当てられており、それ以外にも各ディスクにアントワーヌ・ド・ベックによるイントロダクションに加えて、多くの関係者へのインタヴュー(アンナ・カリーナ、ナタリー・バーユ、イザベル・ユペール、ミリエム・ルーセルといった出演者、ラウール・クタールやキャロリーヌ・シャンプチエといった撮影監督、さらに数々の思いがけない人物たち)が入っていることだ。また、本編には英語字幕と聴覚障害者向けのフランス語字幕も付いているので、フランス語が完璧に聞き取れない外国人にもやさしい仕様となっている。今回のボックスは「Fiction」と銘打たれており、来年には「Politique」ボックスが出るともささやかれているというから、これには期待せずにはいられない。

ゴダール・ソシアリスム』関連資料はこれでお終い。末筆ながら、こうしたごく基本的な資料整備は、ほんの始まりにすぎない。それが一方では、無知から来るゴダール作品への盲目的な跪拝に対する偶像破壊的な脱神話化の作業になっていると同時に、他方では読んでくださった方々のさらなる的確で啓発的な読解を招き寄せるための足がかりになることを願っている。わたし自身、本作に関しては、今後、不定期で「覚え書き」編を継続するつもりである。

*1:と言いつつただちにコメントするなら、ゴダールは『レ・ザンロキュプティーブル』のインタヴューで、俳優たちが「登場人物」にならずに「話す彫像」であることを目指したと語っているが、彼女の演技を見ると、「話す彫像」たることがいかに簡単ではないかが逆説的に分かる。その点、フロリーヌ役のマリーヌ・バタジアの「演技」はすばらしい。