les signes parmi nous

堀 潤之(Junji HORI) 映画研究・表象文化論

『思想』のデリダ没後10周年特集

今年は没後10年になるということで、ジャック・デリダの研究書や訳書が続々と刊行されている(ちなみに、ゴダールの最新作『さらば、愛の言葉よ』には、先月日本語訳が刊行された『動物を追う、ゆえに私は〈動物で〉ある』〔鵜飼哲訳、筑摩書房〕の一節も引用されている)。私もささやかながら、『思想』2014年12月号の特集「10年後のジャック・デリダ」に、下記のインタヴューを訳出する機会を得た(この号全体の目次はここ)。

ジャック・デリダ「映画とその亡霊たち」(聞き手:アントワーヌ・ド・ベック、ティエリー・ジュス)、『思想』2014年12月号、312-332頁

思想 2014年 12月号 [雑誌]

思想 2014年 12月号 [雑誌]

本インタヴューは、没後も続々と刊行される(まさに亡霊的なロジックに従って?)デリダの著作のうち、1978年に『絵画における真実』の刊行以来デリダが継続的に取り組んできた視覚文化関係のインタヴューや講演等を集成した以下の書籍に収録されている(Jacques Derrida, Penser à ne pas voir: écrits sur les arts du visible, 1979-2004, textes réunis et édités par Ginette Michaud, Joana Masó et Javier Bassas, Editions de la Différence, 2013, pp. 315-335)。

Penser à ne pas voir

Penser à ne pas voir

このインタヴューはデリダが直接的に映画を話題にした数少ないテクストの一つであり、自身の映画との関わりから、映画の亡霊性、映画における信の様式、映画の大衆性、映像による証言と『ショア』、記憶とアーカイヴ、そしてサファー・ファティの撮ったドキュメンタリー『デリダ、異境から』D'ailleurs Derrida (1999)の撮影体験に至るまで、多岐にわたるトピックについてきわめて率直に語られている。

初出は『カイエ・デュ・シネマ』誌の2001年4月号(Jacques Derrida, « Le cinéma et ses fantômes » (recueilli par Antoine de Baecque et Thierry Jousse), Cahiers du cinéma, nº 556, avril 2001, pp. 74-85)。当時は、『デリダ、異境から』の記憶も新しく(いまではこのドキュメンタリー映画は『言葉を撮る―デリダ/映画/自伝』の付属DVDで手軽に見ることができる)、デリダの映画についての考えはいかなるものか、と心躍らせて読んだことを思い出す。

特に、「映画の経験」を「徹頭徹尾、亡霊性に属してい」るとする発想、つまり、映画的イマージュは「生きているのでも死んでいるのでもな」く、可視性と不可視性の、現象と非現象の、現前と不在のあいだを漂うものであるとする発想、そしてそれを精神分析と結びつけていこうとする思考の構えは、とりわけ魅力的なものにみえたものだった。まぎれもなく映画館におけるフィルム体験から紡ぎ出されたに違いないこうした着想は、画像体験のデジタル化が一般化したいま、急速に忘却されつつあるものなのかもしれない。

訳者解題にも記したように、映画理論の領域においては、ピーター・ブルネットとデイヴィッド・ウィルズの共著による『Screen/Play: Derrida and Film Theory』(1989)のような、いくつかの孤立した事例を除いて、デリダの着想はほとんど等閑視されている状況だ。それだけに――訳者の非力により解題では触れる余地がなかったが――、リピット水田堯の『原子の光(影の光学)』のような、大胆な着想に基づくデリダの思弁の展開には瞠目させられる(『思想』の特集には、リピット水田堯による論考「さらに剰余の愛」〔小澤京子訳〕も掲載されているのでぜひとも併読されたい)。

原子の光(影の光学) (芸術論叢書)

原子の光(影の光学) (芸術論叢書)