les signes parmi nous

堀 潤之(Junji HORI) 映画研究・表象文化論

クリス・マルケル(1921-2012)関連文献

すでにふた月以上前のことになるが、山形国際ドキュメンタリー映画祭クリス・マルケル特集のカタログに、以下のエッセイを寄せた。

堀潤之「クリス・マルケルの日本への旅」、東志保・港千尋・小野聖子編『未来の記憶のために クリス・マルケルの旅と闘い』、山形国際ドキュメンタリー映画祭、2013年、58–61頁

マルケルの『不思議なクミコ』(65)と『サン・ソレイユ』(82)、そして後者の派生作品とも言える写真集『異/故国』Le Dépays (82)を主な題材に、彼が「異国における居心地の悪さ」(dépaysement)にどう対処したかを考察した小文である(このカタログは、映画祭会期が終わった現在、今のところネットで入手する手立てがないが、近いうちに流通するとのこと)。

上記のカタログの他、映画祭公式ガイドブック『スプートニク』にも2つのエッセイが寄せられている(千葉文夫「時間の織り布 ─ クリス・マルケル讃」[PDF]と、河合政之「クリス・マルケル ─ 映画殺しの映像作家」[PDF])。また、ドキュメンタリーカルチャーマガジン『neoneo』03でも特集が組まれている。全体として非常に充実した特集だが、とりわけ、金子遊の『空気の底は赤い』論と、藤田修平の写真展についての論考には啓発された。

また、丸谷肇「記憶のなかのリアル ─ 『koumiko』を制作して」を読むと、不思議な魅力をたたえた村岡久美子さんの現在の素顔が垣間見られて興味深い。彼女へのインタヴューは、マルケルの死後、フランス語では『カイエ・デュ・シネマ』誌にも『ポジティフ』誌にも掲載されているが(Stéphane du Mesnildot, « Un été avec Koumiko », Cahiers du cinéma nº 681, septembre 2012, p. 85 ; Michel Ciment, « Une rencontre avec Koumiko », Positif nº 632, octobre 2013, p. 115-116)、ドキュメンタリー作品の被写体になったのは初めてのことではないか。公開が待たれる作品だ。とはいえ、それよりもほとんど幻の作品と言ってよく、いまだにDVDなどでも見る機会がない『不思議なクミコ』自体を手軽に見られるような環境作りをするのが先決かもしれない。


実際、マルケルの作品を見る機会はかなり限られていた。『ラ・ジュテ』(62)と『サン・ソレイユ』(82)は上映される機会も多く、日本も含めた各国で早くからDVD化もされており、最も見られているマルケル作品であることは間違いない(ちなみに、右は『サン・ソレイユ』日本公開時の『朝日新聞』1983年5月13日夕刊の記事の一部で、国内の新聞でマルケルが取り上げられた数少ない例のひとつ。ついでに言えば、『サン・ソレイユ』のきわめて密度の濃いナレーションは、DVDの字幕ではどうやってもせいぜい雰囲気を伝えられるくらいであり、フランス語の原文を読むか(Chris. Marker, « Sans Soleil », Trafic 6, printemps 1993)、そのすぐれた日本語訳(クリス・マルケル「サン・ソレイユ 日の光もなく」福崎裕子訳、『すばる』1986年9月号)を読む必要がある)。

ラ・ジュテ / サン・ソレイユ [DVD]

ラ・ジュテ / サン・ソレイユ [DVD]

また日本では、黒澤明の『乱』の撮影現場を撮った『A.K.』(85)や、沖縄戦を扱った『レベル5』(97)、そしてアレクサンドル・メドヴェトキンのポートレート『アレクサンドルの墓』(92)や、タルコフスキーへの美しいオマージュ『アンドレイ・アルセニエヴィッチの一日』(99)などは目に触れる機会も多かったように思う(最後のものは『サクリファイス』のDVDにボーナスとして収められている)。

他方、メドヴェトキン集団の実践や、『ペンタゴン第6の面』(68)と『大使館』(73)、『空気の底は赤い』(77)、『未来の記憶』(01)、『笑う猫事件』(04)といった作品も、マルケルの生前から、フランスやアメリカのDVDで手軽に手に入れられる状況になっていた。しかし、『不思議なクミコ』以前の初期マルケル作品は、マルケル自身がその上映やソフト化に積極的でなかったという事情もあり、短編『北京の日曜日』(56)、『シベリアからの手紙』(57)、『美しき5月』といった初期の傑作は、ごく最近になってようやく最良のかたちで見られるようになったばかりだ(とはいえ、皮肉なことに、マルケル自身がセカンドライフなどで積極的に関わっていたインターネット上では、初期マルケルの多くの作品のブートレッグ版――たいていは見るに堪えない画質の――が出回っていたのであるが)。ちなみに、フランスではこの11月に『北京の日曜日』+『シベリアからの手紙』を収めたDVDと、『美しき5月』『Solitude du chanteur de fond』『Mémoires pour Simone』という3本の未ソフト化作品を含むマルケルDVDボックス(そのうち『美しき5月』は単体でもリリース)が発売されている。

わたしがマルケルに興味を抱いた大きなきっかけは、フィリップ・デュボワが2002年に編集した研究誌『テオレム』第6号のマルケル特集だったように思う。しかし、『ラ・ジュテ』などはともかく、他の作品は見たくても手軽に見られる状況ではなく、またたまたま見る機会があっても、一見してすぐに把握できるような作品群でもなく、途方に暮れた覚えがある。その後、少しずつマルケル関連文献に目を通したり、シナリオ集や写真集を古書店で買い求めたり、作品を繰り返し見たりしていたのだが、今回の山形国際ドキュメンタリー映画祭での特集上映で一挙に空隙が埋まったような気がする。カタログへの寄稿後、ようやくマルケルについて何か書けるような気分になり、この小文を大幅に(紙数にして10倍以上に)拡張した論考「「東洋」から遠く離れて――クリス・マルケルによる中国・北朝鮮・日本」をすでに執筆した。初期作品(特に『北京の日曜日』、フォトエッセイ『朝鮮の女たち』、『不思議なクミコ』)を中心に、その制作のコンテクストとエッセイという形式について考察したものである。この論考は、来春刊行されるある出版物に収録されることになっている。

山形での特集の後、パリのポンピドゥー・センターでは多くの関連作品も含めた大規模な回顧上映が行われ、それに合わせていくつもの雑誌で特集が組まれたので、最後にそれらを一瞥しておこう。

  • まず、Europe誌の1014号(2013年10月)ではサルトルディドロの小特集とならんでマルケル小特集が組まれ、フロランス・ドゥレ(『サン・ソレイユ』仏語版のナレーションを担当している)によるエッセイ、マルケルからドゥレへの手紙、ニコル・ブルネーズのエッセイなどが寄せられている。小特集ながら充実した内容だ。
  • Positif誌の2013年10月号でもマルケル特集が組まれている。先にも触れたミシェル・シマンによるクミコとの会見記のほか、マルケルのフィルモグラフィーの諸相がさまざまな切り口で取り上げられている。個人的には、マーク・レ・ファニュによる「政治以前のマルケル」という記事が面白かった。
  • Avant-scène cinéma誌の606号は1冊全体がマルケルに捧げられており、『シベリアからの手紙』『ラ・ジュテ』『大使館』のカラフルなデクパージュだけでなく、クリスティーヌ・ヴァナッシュへのインタヴューや、アニエス・ヴァルダによるマルケル賛を含む内容だ。
  • 比較的新しい雑誌であるRevue Mondes du cinemaの第3号では、マルケルと日本の関係に焦点を当てた特集を組んでいる。
  • Vertigo誌の第46号のマルケル特集は、フィルモグラフィーのほぼ全域にわたる論考が寄せられており、質量ともに最も充実している。
  • 他に、短編映画の専門誌Brefの108号(2013年9/10月)でもマルケル特集が組まれているが(ちなみにその前号ではゴダール特集が組まれている)、見落としており未見なので書誌情報をあげるにとどめておく。