les signes parmi nous

堀 潤之(Junji HORI) 映画研究・表象文化論

II 文章、イメージ、歴史

 本章の理解にあたっては、ゴダールの『映画史』4Bの該当箇所を見ておいた方がよいのだが、さすがにウェブ上にはあがっていないようだ。

●『マルクス捕物帖』A Night in Casablanca (1946)の冒頭のギャグ(65頁)

 このシーンのランシエールによる記述は、いささか不正確であることが、実際の映像を見るとよく分かる。

マルクス捕物帖』の冒頭で、身動きせず壁に手を伸ばしているハーポの奇妙な態度を、警官が疑い深そうに眺めています。彼はハーポに、その場を離れるように言います。ハーポは首を振って、それは無理だと合図します。「ひょっとして、自分が壁を支えているのだと私に信じさせようとするつもりかね」と、警官は皮肉を言います。ハーポはもう一度、首を振って、まさにそうだと合図します。警官は唖にこうして馬鹿にされたことに腹を立てて、ハーポに歩哨を止めさせます。すると、もちろん、壁は激しい音を立てて崩れ落ちるのです。壁を支えている唖というこのギャグは、芸術の〈すべてが関連し合っている〉を、爆発的な狂気や、同意によってもたらされる愚鈍の〈すべてが隣り合っている〉から分け隔てる文章‐イメージの力を、私たちに最も適切に感じさせる寓話です。

ビル・ヴィオラの《ゴーイング・フォース・バイ・デイ》(87-88頁)

 比較的よく知られたこの作品については、グッゲンハイムのサイトで概要を知ることができる。

このインスタレーションは、薄暗い長方形の部屋の壁を覆う、同時並行の五つのヴィデオ・プロジェクションであり、見物客は真ん中の絨毯に腰を落ち着けます。入口の周りには、原初的で大がかりな火があって、そこからはぼんやりと、人間の手と顔が浮かび上がります。反対側の壁には、逆に、氾濫する水があって、それがやがて都市に住む大勢の絵画的な人物たち――カメラはまず最初に長々と、彼らの移動を物語り、彼らの顔立ちを細かく描写していました――にどっと押し寄せます。左側の壁全体を占めているのは、風通しのよい森という舞台装置で、その中を足がほとんど地に着いていないかのような登場人物たちが、ゆっくりと、果てしなく行き交っています。私たちは、生命とは通過【パサージユ】なのだと理解した上で、二つのプロジェクションの画面が分かち合っている四番目の壁に向かうことができます。左側の画面は、二つに分かれています。ジョット風の小礼拝堂の中で、老人が子供たちに看取られながら死にかけている一方、ホッパー風のテラスで、一人の登場人物が北欧の海に目を凝らしています。部屋の中で老人が死に、明かりが消える間に、海の方では、一艘の船がゆっくりと積み荷を載せられて出帆します。右側の画面では、洪水に見舞われた村の疲れ切った救助者たちが休息する一方で、水際では一人の女性が朝と再生を待っています。