les signes parmi nous

堀 潤之(Junji HORI) 映画研究・表象文化論

III テクストの中の絵画

●ジャン=バティスト・グルーズ《セプティミウス・セウェルスとカラカラ》、1769年(99頁)

 だからこそ、ディドロは、グルーズがセプティミウス・セウェルスの肌の色を薄黒くして、カラカラを札付きの悪党として描いたことに対して、逆説的な非難をすることができるのです。セプティミウス・セウェルスは、最初のアフリカ出身のローマ皇帝で、彼の息子カラカラは確かに札付きの悪党でした。非難されているグルーズの絵は、カラカラが父親の殺人未遂を犯したことを認めさせられる瞬間を描いています。しかし、表象の類似性とは、現実の複製ではありません。皇帝はアフリカ人である以前に皇帝であり、皇帝の息子は悪党である以前に皇太子なのです。一方の顔を黒くし、他方の卑劣さを咎めることは、歴史画という高貴なジャンルを、まさしく風俗画〔tableau de genre〕と言われるありふれたジャンルに変容させることなのです。

ディドロがこのタブローに言及しているのは、原注にもあるように「1769年のサロン」。

シャルダン静物画(いずれも1759年)(106-108頁)




 最初の例は、ゴンクール兄弟が一八六四年に発表したシャルダンについてのモノグラフィーから借りたものです。「彼がかくも巧みに塗りつける術を知っているあの鈍くて曇った背景、洞窟のごとき涼しさと食器棚の作り出す影がほのかに混ざり合うあの背景、苔むした色合いの、土っぽい大理石で覆われたあの食卓に、シャルダンはデザートの皿を並べ立てる——ここにあるのは、ふわふわしたビロードのような桃、透き通った琥珀色の白ブドウ、砂糖の霧氷で覆われたプラム、湿り気を帯びた緋色の苺、たっぷりとしたマスカットの粒とそれに付着した青味がかった湿り気、皺のよった、疣だらけのオレンジの皮、刺繍を施されたレース模様のメロン、赤ら顔をした古びた林檎、皮の上に結び目のあるパン、滑らかな皮の栗、そしてハシバミの実でできた森である(…)。こちらの片隅にあるのは、絵筆によってできた荒壁土、絵筆で塗ってから拭われた跡でしかないのだが、その荒壁土のうちに、クルミの実がぱっと出現し、殻の中で反り返り、その軟骨をくまなく見せ、その形態と色彩のあらゆる細部のうちに登場するのである」。
 ある一つの狙いが、このテクスト全体を規定しています。諸々の具象的な与件を、それ自体が素材(マチエール)の変成的な状態を表しているところの、絵画的な素材(マチエール)による出来事へと変容させるという狙いです。この操作は、最終行に書かれていること——クルミの実の出現、絵筆によってできた荒壁土、絵筆で塗ってから拭われた跡に登場する形象——に基づいて、たやすく要約できるでしょう。ゴンクール兄弟の描写にみられる「素材主義」は、絵画の「自律性」という可視性の大形式——素材(マチエール)の作業、絵の空間に対して支配力をふるう色つきの厚塗り絵の具の作業——を予示しています。それは、シャルダンの絵の上に、印象派や、抽象表現主義や、アクション・ペインティングの未来全体の布置を定め、さらにはそこに描写と理論化の未来全体を予示しています——バタイユ流の不定形や、メルロ=ポンティ流の根源的なミメーシスや、ドゥルーズのダイアグラムなどの思想、つまり、何らかの〈見えるもの〉を無効にして、別の〈見えるもの〉、「触覚的」な可視性、仕上げられた絵画の可視性に代わる絵画の身振りの持つ可視性を生み出すような手の操作を予示しているのです。こうした観点からすれば、家庭的な静物画は何ら特権的なものではなく、ルーベンスの偉大な宗教画の描写も同じ原則に従っています。「絵筆がこれほど激烈に、肉体の塊を巻き込んでは解きほぐし、一群の身体を結びつけてはほどき、脂肪や内臓を吹き飛ばしたことはなかった」。

※最後に言及されているルーベンスの宗教画は、おそらく以下に掲げるものでしょう。また、この箇所、「内蔵」tripesがランシエールの原書では「types」と誤って引用されており、理解を困難にしている(訳注で指摘すればよかったのだが)。

●ポール・ゴーギャン《説教のあとの幻影》(天使と闘うヤコブ)、1888年(110-113頁)

 このことは、もう一つの批評的テクスト、アルベール・オーリエが一八九〇年にゴーギャンの《説教の後の幻影》(《天使と闘うヤコブ》としても知られている)に捧げたテクストが示してくれていることです。(…)
 「遠く、非常に遠く、地面が朱色に光り輝いているようにみえる神話的な丘で、聖書に書かれたヤコブと天使との闘いが行われている。
 距離が離れているせいで小人に変えられているこの二人の伝説の巨人が途方もない勝負を闘っている一方で、女性たちが眺めている。興味を惹かれながらも純朴な女性たちは、おそらく、赤く染まった神話的な丘で何が起こっているのか、あまりよく分かっていない。この女性たちは、農婦である。しかも、カモメの翼のように広げられた白い頭巾の大きさや、肩掛けが例によって雑多であることや、服装や上着の形から判断して、彼女たちはブルターニュ出身なのだろう。気取りのない女たちは、うやうやしい態度で、目を見開いた顔をして、いささか空想的で、尋常ならざる話に耳を傾けている。その話は、非の打ち所のない、崇められている口から発せられているようだ。この女たちは教会にいるかのようだ——それほど彼女たちは静かな注意を傾け、瞑想にふけり、跪き、信心深い態度をしている。あたかも彼女たちが教会にいて、香と祈りのほのかな匂いが、女たちの頭巾から伸びる白い羽根のあいだにゆらめき、年老いた司祭のうやうやしく聞き入れられる声が女たちの頭上に漂っているかのようだ…。そう、おそらくどこかの教会に、ブルターニュのどこかの貧しい村の貧しい教会に…。だが、だとするなら、黴の生えた緑の支柱はどこにあるのか? 十字架の道行を描いたちっぽけな多色石版画が並んでいる乳白色の壁はどこにあるのか? 樅の説教壇は? 説教する年老いた司祭は? (…)そしてなぜそこに、遠く、非常に遠くに、地面が朱色に光り輝いているようにみえる神話的な丘が出現するのか?…
 ああ! それは、黴の生えた緑の支柱、乳白色の壁、十字架の道行を描いたちっぽけな多色石版画、樅の説教壇、説教する年老いた司祭が、もう何分も前から消滅し、ブルターニュの善良な農婦たちの目と魂にとってはもはや存在していないからなのだ!… この訥弁の村のボシュエは、間の抜けた聴衆の粗野な耳に不思議なほどふさわしい、どのようなすばらしく感動的な語調、どのような輝かしい迫真的な描写に行き当たったというのだろうか? 周囲のあらゆる形あるものが靄のうちに消散し、消え去ってしまったのだ。喚起者たる彼自身も姿を消した。いまや、彼の〈声〉、彼のみじめで、年老いて、哀れで、口ごもった〈声〉だけが、目に見えるものに、威圧的なほど目に見えるものになった。白い頭巾をかぶった農婦たちが、あの純朴さと信心深さを伴った注意を傾けながら見つめているのは、彼の〈声〉なのだ。そこに、遠く、非常に遠くに浮かび上がる、村にふさわしい空想的な幻影とは、彼の〈声〉である。この朱色の地面の神話的な丘、聖書に書かれた二人の巨人が、距離が離れているせいで小人に変えられながら、厳しく途方もない勝負を闘っているこの子供じみた夢の国とは、彼の〈声〉なのである!…」
 この描写は、謎かけと置き換えの作用によって構築されており、三枚の絵を一つにしています。第一の絵では、野原にいる農婦たちが遠くで闘っている者たちを眺めています。ところが、そのように見えるとしても、それでは辻褄が合わないということが告発され、第二の絵が呼び出されます。これほど着飾って、こんな態度を取っているのだから、農婦たちは野原ではなく、教会にいるはずだ、と。そこで、みじめな装飾と奇怪な人物たちを伴う風俗画という、そのような教会の絵が通常そうであるところのものが引き合いに出されます。しかし、農婦たちの瞑想にふける身体にある一定の枠組み——写実的・地方的な風俗を描いた絵画という枠組み——を与えるはずのこの第二の絵は、ここには見当たりません。私たちが目にしている絵は、まさしくそのような第二の絵の反証です。そのため、私たちはその反証を通じて、第三の絵を見なければなりません。すなわち、ゴーギャンの絵を新たな側面から見なければならないのです。この絵が提示する光景は、現実の場所で起こっているのではなく、もっぱら観念的なものです。農婦たちは、説教と闘いがリアリズム的に描かれたいかなる場面も見ていません。彼女たちが——そして私たちが——見るのは、説教師の〈声〉、すなわちその声を介して伝わる〈御言葉〉のパロールなのです。このパロールは、ヤコブと天使との、現世の物質性と天の観念性との、伝説的な勝負を伝えています。