les signes parmi nous

堀 潤之(Junji HORI) 映画研究・表象文化論

特集上映〈ゴダールと政治〉

本日から一週間にわたってポレポレ東中野で開催される特集上映〈ゴダールと政治〉で、ジガ・ヴェルトフ集団期を中心とするゴダール作品が10本まとめて上映され、わたしが執筆した各作品の解説が劇場で配布されることになっている。一作品につき4000字程度の分量があるので、それなりに読み応えのある解説になっていると思う。

上映される10作品は、ゴダールが1967年末公開の『ウイークエンド』で商業映画と訣別し、通常の映画配給ルートには乗らない戦闘的映画の製作に身を投じてから、ジャン=ピエール・ゴランとの共同監督作品『万事快調』(1972)で一時的に商業映画に復帰するまでの期間をほぼ網羅している(この時期の完成した長篇作品としてはあと『ワン・プラス・ワン』があり、その他、『ワン・アメリカン・ムービー』などの未完の作品がある)。

上映作品はおおむね製作順に、『ウイークエンド』、『たのしい知識』、『ありきたりの映画』、『ブリティッシュ・サウンズ』、『プラウダ』、『東風』、『イタリアにおける闘争』、『ウラジミールとローザ』、『万事快調』、『ジェーンへの手紙』(中篇)となる(この時期の作品にはクレジットの問題が付きまとうが、簡単に言えば、『ありきたりの映画』まではゴダールの単独名義、『ブリティッシュ・サウンズ』から『ウラジミールとローザ』までの5作品がジガ・ヴェルトフ集団作品、『万事快調』と『ジェーンへの手紙』はジャン=ピエール・ゴランとの共同監督作品となる)。

太字にしたタイトルの解説は、今回の上映に際しての書き下ろし(この劇場配布以外で入手する機会も当面ないだろう)。『たのしい知識』の解説は、配給元のアイ・ヴィー・シーが2013年に出したDVDに付属する冊子からの転載。他の4作品の解説は、同じくアイ・ヴィー・シーが2015年に出した『ジャン=リュック・ゴダール+ジガ・ヴェルトフ集団Blu-ray BOX deux』(DVDボックスもあり)のブックレットからの転載である。

太字タイトルの5作品と『たのしい知識』が収められている2012年発売の『ジャン=リュック・ゴダール+ジガ・ヴェルトフ集団 Blu-ray BOX』は、装いを改め、この特集上映終了後にDVDボックスとして発売されることになっている。

この10本のうちどれを見ればよいのか? いちばん見やすいのは、商業映画作品の2作、ゴダールのペシミズムの極地を示す『ウイークエンド』と、どちらかと言えばゴランの明晰さ、陽気さが前面に出ている『万事快調』であろう。わたし自身、1996年に広瀬プロダクションが配給した『万事快調』を劇場で見たのが、この時期のゴダールの最初の体験だったように記憶している。

ジガ・ヴェルトフ集団作品としては、やはり『東風』がいちばん見応えがある。「黒板としての映画」を目指していたこの時期の作品に「見応え」を求めるのは、それ自体、反動的な身振りであろうが、ローマ近郊で撮られた偽‐西部劇がもたらす視覚的快楽はそれでも魅力的である。

その他、ストローブ=ユイレが激賞した『ありきたりの映画』、シカゴ・エイトの裁判をさらに笑劇と化した怪作『ウラジミールとローザ』、アルチュセールを涙させたという『イタリアにおける闘争』、等々、どの作品にもそれぞれの見所があるので、ぜひこの機会にゴダールが最もラディカルに映画という表象の破壊に挑んだ作品群を堪能してほしい。

ブレッソンの『白夜』

一週間ほど前から、これまで世界のどこでもビデオにもDVDにもなっていないロベール・ブレッソンの『白夜』(1971)が、2012年に本作品をリバイバル公開したエタンチェの制作によって、Blu-ray DISCとしてアマゾン限定で発売されているが、その封入リーフレットに解説を寄せた(「『白夜』解説」、2-17頁)。

ロベール・ブレッソン監督『白夜』Blu-ray

ロベール・ブレッソン監督『白夜』Blu-ray

リーフレットには、シネフィル・イマジカの山下泰司氏による「『白夜』マスターについて」という短い文章も収められており、それによるとマスターは2012年に日本でリバイバル上映された際に作られたピエール・ロム監修の上映用プリントをHDテレシネしたもので、そこからBlu-ray化に際してさらにデジタル修復が施されている。音声はテレシネ時にオノ セイゲン氏がノイズ修復・マスタリングしたものとのこと。

ジャケットのデザインは塚本陽氏。リバーシブルなのも嬉しい。モノとして所有する喜びを増幅してくれる、細部まで行き届いたデザインだ。リーフレットもシンプルで綺麗だ。

これまでソフト化もされず、画質の悪い海賊版以外では見るのが困難だったこともあり、『白夜』について書かれた文章は世界的にも少ない。

とはいえ、日本では、初公開時(1978年2月25日)に、辻邦生氏(『毎日新聞』3月6日夕刊)と蓮實重彦氏(『朝日新聞』3月22日夕刊)による読み応えのあるエッセイが書かれている(後者は『シネマの記憶装置』に収録。両方とも、1999年の東京国際映画祭におけるブレッソン・レトロスペクティヴの際に刊行されたカタログに再録されている)。

それだけでなく、2012年のエタンチェによる再公開時に発行された劇場用パンフレットもある。山城むつみ、伊藤洋司、福田桃子、葛生賢の各氏による、それぞれの仕方でこの作品の核心を突く充実した論考に加えて、行き届いたシナリオ採録も収められている。もはや入手困難かもしれないが、『白夜』を、そしてブレッソンをより深く理解するためには必読であろう。

ブレッソンとはまったく異なる資質の持ち主であるヴィスコンティの『白夜』(1957)と見比べるのも一興だろう。こちらはやや甘ったるいロマンスに堕しているという印象は否めないが、それでも、ヒロインが下宿人とともに『セビリアの理髪師』を見に行くオペラハウスのシーンや、雪の中で下宿人とともに去って行くラストシーンなど、いくつかのシーンは忘れがたい。ドストエフスキーの原作は、何種類か訳があり、わたしはロシア語を解さないので訳文の印象だけでの判断となるが、いみじくも『やさしい女』とカップリングされている井桁貞義訳が好みだった。

やさしい女・白夜 (講談社文芸文庫)

やさしい女・白夜 (講談社文芸文庫)

佐々木敦『ゴダール原論』書評

佐々木敦氏によるゴダール『さらば、愛の言葉よ』(2015)のスリリングな読解の書『ゴダール原論』(新潮社、2016年1月)の書評を、先日『産経新聞』に寄せたのに引き続いて、今日発売される『週刊読書人』にも書いた。前者のものはウェブ上でも読める

ゴダール原論: 映画・世界・ソニマージュ

ゴダール原論: 映画・世界・ソニマージュ

ゴダールの異形の3Dの使用法を読み解くための補助線として、本書ではジョナサン・クレーリーの『観察者の系譜』(遠藤知巳訳、以文社、2005年)に加えて、赤瀬川原平の『ステレオ日記――二つ目の哲学』(大和書房、1993年)と吉村信・細馬宏通編著の『ステレオ――感覚のメディア史』(ペヨトル工房、1994年)が参照されているのだが、特に後者はめっぽう面白い。

コラム形式で、チャールズ・ホイートストンの両眼視の実験から、カイザーパノラマに言及するベンヤミン、近眼の人を「物のさとりがわる」く「常識に欠けて居るといふようなことがある」と強弁する正岡子規を経て、ステレオ写真家としてのハロルド・ロイド伊藤大輔ムルナウに至るまで、思わずさらに掘り下げたくなる興味深いエピソードが満載だ。3D映画を考えるにあたっても、ぜひ再読されるべき本である。

ジャック・リヴェット「卑劣さについて」を読む

ついにジャック・リヴェットが亡くなった。2010年にはエリック・ロメールクロード・シャブロル、2012年にはクリス・マルケル、2014年にはアラン・レネが立て続けに逝去し、ヌーヴェル・ヴァーグの時代を牽引した映画人たちのうち存命なのは、ジャン=リュック・ゴダール(1930-)や、アニエス・ヴァルダ(1928-)や、ジャック・ロジエ(1926-)くらいになってしまった。

リヴェットの作品で最初に見たのは、たぶん『セリーヌとジュリーは舟でゆく』(1974)だったと思う。その後、『北の橋』(1981)、『美しき諍い女』(1991)なども見て、『ジャンヌ・ダルク』2部作(1994)以降は、日本で封切られたものは封切り時に見た。かつて随分苦労して長編第一作の『パリはわれらのもの』(1960)の米国版VHSや、『アウト・ワン』(1971)の4巻組の仏語版VHSを手に入れて見たことも懐かしい。しかし、どの作品を見ても、その奇抜な着想には魅せられながらも、ほとんど異星人が作った映画を見ているようで、リヴェットがやろうとしていることが腑に落ちたという気は残念ながらいまだにしない。

リヴェットの作品をさらに謎めいたものにしている理由は、彼の作品群のトーンが、1950年代に彼が書いていた切れ味鋭い映画批評と調和していないことではないだろうか。ゴダールは、批評を書くことはすでに映画を撮ることだったと言い、実際、彼の映画批評は彼の映画と類似しており、彼の映画と同じくらい痛快だ。トリュフォーにおいても、批評と実作の連続性は比較的明瞭に見て取れる。しかし、リヴェットはどうか? 「ロッセリーニについての手紙」や「ハワード・ホークスの天才」といった彼のきわめて鋭利な批評は、見終わった後にチェシャ猫の笑いのごとく不思議な感覚だけが残る彼の作品群と同一世界にあるようには思えないのである。しかも、彼は自分の批評が本のかたちで集成され、再刊されることを望まなかったようで、彼が主に1950年代に書いた文章を読むには、いまだに『カイエ・デュ・シネマ』誌などのバックナンバーに当たらなければならないという事情も、彼の映画と批評のあいだの断絶の印象を強めている。

さて、リヴェット追悼の意味も込めて、ここに「卑劣さについて」の新訳を披露したいと思う。「卑劣さについて」は、ジッロ・ポンテコルヴォ(1919-2006)の『カポ』Kapo (1960年、邦題『ゼロ地帯』)のあるシーンにおけるトラヴェリングを弾劾した短評で、『カイエ・デュ・シネマ』の120号(1961年6月号)に掲載された。のちの映画批評家セルジュ・ダネー(1944-92)に決定的な影響を与えたことでも知られていて、その点については「『カポ』のトラヴェリング」(『不屈の精神』所収、梅本洋一訳、フィルムアート社、1996年、17-53頁)に詳しい。「卑劣さについて」には故・梅本洋一氏による既訳があるが(同書の221-225頁に「資料」として訳出されている)、同書は版元品切れ中でもあり、また重要なテクストには複数の訳があってもよいだろうという判断から、以下に試訳をお目にかける次第である(文章中の太字は原文イタリック)。

なお、ダネーも見たことがないという『カポ』は、今ではDVD(海外版)で手軽に見ることができる。

Kapo' [Italian Edition]

Kapo' [Italian Edition]


ジャック・リヴェット「卑劣さについて」(Jacques Rivette, « De l'abjection », Cahiers du cinéma nº 120, juin 1961, p.54-55)

 最低限言いうるのは、このような主題(強制収容所)についての映画を企てるとき、自分に前もってある種の問いかけを課さずにいるのは難しいということだ。にもかかわらず、錯乱しているからか、愚かだからか、はたまた意気地がないからか、まるでポンテコルヴォがそのような問いかけをするのを果敢にも無視したかのようにすべてが進行している。

 たとえば、リアリズムという問いかけがある。容易に理解できるさまざまな理由で、絶対的なリアリズム、あるいは映画でその代わりとなりうるものは、この場合、採用することはできない。この方向でのあらゆる試みは必然的に未完成(「したがって不道徳」)であり、再構成や滑稽でグロテスクな偽装(maquillage)のあらゆる試み、「スペクタクル」という伝統的なあらゆるアプローチは、覗き見趣味とポルノグラフィーに属しているのだ。演出家は〔リアリズムを〕味気ないものにしなければならない。自分が思い切って「現実」として提示しているものが、観客にとって物理的に耐えうるものであるために。その結果、観客は、たぶん知らず知らずのうちに、こう結論するしかなくなるだろう。もちろん、それは痛ましいことだった、あのドイツ人たちは何と野蛮なのか、だが結局のところそれは耐えがたいものではなかった。十分に思慮深くあって、多少なりとも機転を働かせたり辛抱したりすれば、切り抜けることができたはずなのだ、と。同時に、誰もが知らないうちに恐怖に慣れてしまい、恐怖が生活慣習のなかに少しずつ入り込み、やがて現代人の精神的な風景の一部となるだろう。そうなったら、実際、衝撃を与える(choquant)ものではなくなったものに、今度、いったい誰が驚いたり憤ったりできるというのだろうか?

 ここで私たちは、『夜と霧』の力が記録資料に由来するのではなく、モンタージュから来ていたことを理解する。つまり、あるがままの事実――悲しいかな、現実に起こった事実――を、ある動きのなかでまなざしにもたらすような技法に由来していたことを――その動きはまさしく、〔収容所でみられる〕現象を理解し、認めることを承諾しえない、明晰でほとんど非人称的な意識の動きである。レネが取り上げたものよりもむごたらしい記録資料は、ほかで見ることもできたが、人が慣れることのできないものなどあろうか? ところが、『夜と霧』に慣れてしまうことはない。映画作家が自分の示すものを裁き、またその示し方によって裁かれているからだ。

 話は変わるが、ムレの「道徳とはトラヴェリングに関わる事柄である」という文章(またはそのゴダール版の「トラヴェリングとは道徳に関わる事柄である」)は、あちこちで大いに引用されたが、たいていの場合、かなり愚かな仕方で引用された。人はそこに形式主義(formalisme)の頂点を見て取ることを望んだのだ――〔ジャン・〕ポーランの用語法を借りるならば、むしろその「恐怖政治」的な行き過ぎを批判することもできるのに。しかしながら、『カポ』で〔エマニュエル・〕リヴァが電気の流れる有刺鉄線に身を投げて自殺するショットを見るがよい。その瞬間に、死体を仰角で再び画面に収めるべく前方へのトラヴェリング(travelling-avant)を行い、挙げられた手が最終的なフレーミングでちょうど角に刻まれるように気を配ることにしたこの男は、最も深い軽蔑にしか値しまい。私たちは数ヶ月前から、形式と内容とか、リアリズムと夢幻劇とか、脚本と「演出」とか、自由に演じる俳優か制御された俳優かとか、その他のたわごと(balançoire)といった偽の問題にうんざりさせられている。あらゆる主題は権利上、生まれながらにして自由かつ平等であるのかもしれないが、重要なのは、色調(ton)、あるいは語調(accent)、ニュアンス――どれでも好きなように呼べばよいだろう――であり、すなわち、ある人間――作家という必要悪――の視点であり、その人間が自分の撮るものに対して、したがって世界と森羅万象に対して取る態度なのである。それは状況の選択や、筋書きの構築や、台詞や、俳優の演技や、純然たる技法(technique)のうちに、「一様におなじだけ」(indifféremment mais autant)表れうるのである。恐れとおののきを抱きながらでしか取り扱うべきではない事柄というものがある。おそらく、死はその一つであろう。これほど神秘的な事柄を撮影する瞬間に、どうして自分が詐欺師だと感じずにいられるだろうか? ともかく、自分に問いを課し、その問いかけを何らかの仕方で自分が撮るもののなかに含める方がよいだろう。だが、疑いこそ、ポンテコルヴォやその同類に最も欠けているものなのだ。

 一本の映画を作ることは、ある種の事柄を見せることであり、同時に、同じ操作によって、それらの事柄をある一面から見せることである。この二つの行為は、絶対に切り離すことができないのだ。演出のなかに絶対的なものがありえないのと同様――というのも、絶対的なもののなかに演出はないのだから――、映画は決して「言語活動」(langage)にはならないだろう。記号(signe)とシニフィエ(signifié)の関係はここではまったく通用しないし、ザジ少女と同じくらい悲しい異端にしか帰着しない。総合の代わりに付加、統一性の代わりに分析で済ませようとする映画的事象のアプローチはどれも、私たちをただちに映像のレトリックに差し向けるのだが、それは機械図が絵画的事象と関係するほどにしか映画的事象と関係していない。「左翼の批評家」を自称する者たちにとって、なぜこのレトリックがかくも貴重なものであり続けているのだろうか?――おそらく、結局のところ、彼らは何よりもまず筋金入りの教師なのだろう。だが、私たちがつねに、たとえばプドフキン、デ・シーカ、ワイラー、リッツァーニ、それにIDHECの旧従軍兵たちを嫌ってきたのは、この形式主義の論理的な帰結がポンテコルヴォと呼ばれるからである。拙速なジャーナリストたちがどう考えようと、映画史は毎週、革命の状態に陥るわけではない。ロージーのような人物の力学や、ニューヨークで行われている実験は、砂浜に打ち付ける波が深海の静けさを揺るがさないのと同様、映画史を揺さぶることもない。なぜか? 人は一方で形式的な問題だけをみずからに課し、他方でそうした問題すべてをいっさい提起することなく、前もって解決しているからだ。だが、真に歴史をなしており、「その道の専門家」(hommes de l’art)とも呼ばれる人々は、むしろ何と言っているのか? レネは、今週のある映画が観客としての彼の興味を惹くとしても、アントニオーニを前にしては自分がアマチュアでしかないと感じると告白するだろう。トリュフォーならルノワールに関して、ゴダールならロッセリーニに関して、ドゥミならヴィスコンティに関して、おそらく同じことを言うだろう。さらに、あらゆる記者や時評家に逆らって、セザンヌが少しずつ画家たちによって押しつけられたのと同様、映画作家たちもムルナウや溝口を歴史に押しつけるのだ…。

ゴダールの「反ユダヤ主義」?

今日、ウェブ上に公開された表象文化論学会のニューズレター『REPRE』の第25号に、4月の上旬にミネルヴァ書房から刊行された論集『映画とイデオロギー』(加藤幹郎監修・杉野健太郎編)の紹介文を寄せた。ほぼ同時期に同じ叢書で刊行された『映画とテクノロジー』(加藤幹郎監修・塚田幸光編)も紹介されている。さらに、同じ号には、わたしも寄稿した『クリス・マルケル 遊動と闘争のシネアスト』(金子遊・東志保編・港千尋監修、森話社、2014年)の東氏による紹介文も掲載されている。

論集『映画とイデオロギー』には、わたしはゴダールと「ユダヤ人問題」についてまとめた論文を寄稿している。書誌情報は以下のとおり。

堀潤之「ゴダールの「ユダヤ人問題」──歴史のモンタージュとの関わりを中心に──」、加藤幹郎監修・杉野健太郎編『映画とイデオロギー』、ミネルヴァ書房、2015年4月、247-275頁

編者の「はしがき」から、拙論の概要を記した部分を引用させていただく。


堀潤之「ゴダールの「ユダヤ人問題」――歴史のモンタージュとの関わりを中心に」(第8章)は、ゴダールユダヤ人問題を取り上げる。
本章の出発点となっているのは、映画作家ジャン=リュック・ゴダールが、2009年から2010年にかけて、アメリカとフランスのジャーナリズムで反ユダヤ主義の嫌疑をかけられたという出来事である。そうした告発がなされる背景としては、ゴダールが特に『映画史』(Histoire(s) du cinéma, 1988-98)以降、ナチスによるユダヤ人大虐殺をはじめ、20世紀にユダヤ人がたどった歴史に強い関心を示す一方で、特に1975年に完成したパレスチナをめぐる実験的作品『ヒア&ゼア・こことよそ』(Ici et ailleurs, 1975)では、激烈な反シオニズム・親パレスチナイデオロギー的立場を表明していたという、いささか込み入った状況がある。
本章では、まずアメリカのジャーナリズムによってゴダールに対してなされた「反ユダヤ主義」の告発の言説がいかに杜撰なものにすぎないかを指摘し、その過程でとりわけ、『ヒア&ゼア』で公開当時から物議を醸したあるシーンを再検討する。
次いで、主にフランスで問題視されたゴダールのある発言――ガス室に連れて行かれるユダヤ人犠牲者たちを、パレスチナにおける自爆テロリストと比較するショッキングな発言――を取り上げて、「モンタージュ」によって歴史にアプローチしようとするゴダールの方法論が迷走してしまった事例として批判的な検討を加える。
最後に、ユダヤ系の哲学者・作家ベルナール=アンリ・レヴィによるゴダール擁護の試みを引き合いに出し、彼が報告するいくつかの未実現の企画の紹介を通じて、近年のゴダールがどれほど「ユダヤ人」という形象に対して真摯な関心を抱き続けているのかを確認する。
本章は全体として、ホロコーストパレスチナ問題という、異なったイデオロギー的立場が鋭く対立している歴史のトポスに対して、独自の映画的表象がどのように向き合うことができ、またそこにどのような陥穽が潜んでいるかについての興味深い事例を提供している。

(杉野健太郎氏による「はしがき」x-xi頁より抜粋、改行は適宜加えた)

右上に掲げた図版は、2010年11月2日の『ニューヨーク・タイムズ』紙の一面。論文中でも触れた、ゴダール反ユダヤ主義についての記事(Michael Cieply, “An Honorary Oscar Revives a Controversy,” The New York Times, November 2, 2010)の冒頭部分が赤枠で囲った部分に載っている。参考までに、赤枠部分を拡大した画像も載せておこう。

ヨーロッパには、パレスチナ側に加担した途端に反ユダヤ主義のレッテルを貼られるという「空気感」もあるのだが、ことゴダールをめぐっては、モンタージュによる歴史叙述という彼の方法論がはらむ根本的なイデオロギー的曖昧さが、さらに事態を複雑化しているように思う。肝心なところで腫れ物に触るような感じになってしまった反省はあるが、いくつかの「論争」(というほどのものでもないのだが)の事実関係と基本的な構図に関しては、この論考で多少とも明瞭になったのではないかと思う。

ついでに、少し前のアウトプットについても触れておく。まず、7月上旬にゴダールの『さらば、愛の言葉よ』のBlu-rayディスク(およびDVD)が発売されたが、そこに含まれている「新規解説書」はわたしが執筆したものである(わたしの名前はアマゾンなどのウェブ上にも、パッケージにも書かれていないので、購入して実際に解説書を開いてみるまで判らないのだが……)。

内容的には『ユリイカ』2015年1月号に載せた拙稿(このエントリーを参照)に加筆し、再構成したものである。

その加筆部分に書いたことだが、『さらば、愛の言葉よ』の原題である「さらば、言語よ(Adieu au langage)」は、もしかしたら、パレスチナ問題についての、あるいは「ユダヤ人であること」についてのマルセル・オフュルスとの共同企画のタイトルになったかもしれないものなのだ。そのことはゴダールマルセル・オフュルスの対談本であるDialogues sur le cinéma (Le bord de l'eau, 2011)に書かれている。

この本が収録している2つの対談のうちのひとつ(2009年にジュネーヴで行われたもの)を元に作られたドキュメンタリー映画サン・ジェルヴェ劇場での出会い』La Rencontre de Saint Gervais (2011)は、今年の2月に日本語字幕を作成して、神戸映画資料館でレクチャーとともに参考上映させていただいた(概要はここ)。ゴダールが79歳、オフュルスが82歳になる年に行われたこの対談は、闊達なユーモアを交えながら(若い頃、周囲と口論ばかりして、大量のファックスを送りつけるのが常だったので、喧嘩相手から思わず(マックスとかけて)「ファックス・オフュルス」と呼ばれたことがある、とか)、潰えた共同企画の思い出を巡って、次第に狐と狸の化かし合いのような様相を呈していく……。

上映時のレクチャー「ゴダールマルセル・オフュルス――戦争の記憶と映像の世紀」は、『哀しみと憐れみ』(1969)から、ゴダールが絶賛している『ホテル・テルミニュス』(1988)を経て、最新作の『ある旅人』(2013)に至るまで、マルセル・オフュルスの経歴とその第二次世界大戦の記憶に対するアプローチの仕方をざっとたどるのが主な目的で、オフュルス/ランズマン/ゴダールの三つ巴の絡み合い(人生の上での、および歴史に対するアプローチの上での)については簡単に触れるだけで終わってしまったが、その点は今後さらに探究すべきであろう。