les signes parmi nous

堀 潤之(Junji HORI) 映画研究・表象文化論

震災と映像

関西大学で開催したシンポジウム「震災と映像」の一環として、次の発表をした。

堀潤之「カタストロフへのまなざし――収容所の表象をめぐって」、東西学術研究所研究例会、2012年1月28日、於関西大学以文館


このシンポジウムは、同僚の門林岳史氏と私とで企画し、関西大学東西学術研究所の特別講演会兼研究例会として、関西大学映像文化学会との共催で開かれたものである。右のポスターにもみられるように、東日本大震災とそれに伴う原発事故という未曾有の複合災害が、映像という表象メディアにも大きな課題を突きつけているという認識のもと、震災も含めた諸々のカタストロフに映像がどのように向き合えるのかを歴史的なパースペクティヴも含めて検討するというのが全体の趣旨であった。学術的な催しとしては多様な聴衆にも恵まれ、『神戸新聞』の記事にもなったので、ぜひそちらも参照して欲しい。

全体の流れとしては、被災地の状況をいち早く伝えたことで話題を呼んだ大宮浩一監督の『無常素描』(3月末にDVDが出る)の上映に引き続いて、Image.Fukushimaの実行委員会会長を務める映画研究者・批評家の三浦哲哉氏が、基調講演「福島と3.11のイメージ」で、連続上映会の模様を伝えつつ、映画が「福島」に向き合う際の原理的な諸問題を考察した(講演内容は、関西大学映像文化学会が毎年発行しているニューズレター『EB』の第3号に掲載される予定)。次いで、記者の村上雅信氏が、彼の所属する福島中央テレビの定点カメラだけがとらえることに成功した、福島第一原子力発電所の爆発の瞬間の映像に焦点を当てて、その映像がメディア空間でどのように流通したのか、また今後、どのような意味作用や効用を担っていくのかについて考察を加えた。

続いて、より一般的にカタストロフの映像表象の諸問題を検討すべく、わたしがアウシュヴィッツをはじめとする収容所の映像表象をめぐるいくつかの試みを整理し、林田新氏が従来の原爆写真論を批判的に踏まえながら、特に東松照明の写真集『〈11時02分〉NAGASAKI』を取り上げて、単に原爆に直接関連するだけにとどまらない多岐にわたる写真を重層的に仕掛けることでいかにして東松が「長崎」のイメージに到達しようとしているかを分析した。

わたしの発表では、「震災と映像」の問題をより広範な歴史的パースペクティヴからとらえるべく、「震災」からあえて遠く離れて、アウシュヴィッツをはじめとする収容所の表象をめぐる3つのプロトタイプ的な事例を検討した。

最初の事例としては、解放直後から収容所をとらえたおびただしい量の映像が流通し、しかもそれらが必ずしも厳密に「読解」されてこなかったことを指摘した上で、そうした事態を被写体への「象徴的な暴力」と考えるハルン・ファロキが、ヴェステルボルク通過収容所の無声のフッテージを丁寧に読解するという、中編『猶予期間』(Aufschub / Respite / En sursis, 2007)における試みを紹介した(元々、全州国際映画祭の委嘱で作られたこの中編を、わたしはたまたまポンピドゥー・センターで見ていたが、昨年、フランスの製作会社SurvivanceからDVDが発売されたので、より手軽に見られるようになった)。

ヴェステルボルクのフッテージの一部は、有名な憂い顔の少女――のちに、Settela Steinbachという名の、ユダヤ人ではなくロマの少女だったことが判明する――の映像をはじめとして、アラン・レネの『夜と霧』などを介して、元々のコンテクストでそれが何を指していたのかが忘却へと追いやられ、強制移送や収容所の悲劇を漠然と象徴する映像として「イコン化」していくことになる。ファロキの試みは、単純化して言えば、そのような思考を麻痺させる「イコン化」にあらがって、アーカイヴ映像の身元確認を行い、行方不明になっていた映像をその被写体に返すような作業だと言えるだろう。

シンポジウムでは、複数の論者から、映像に保存された出来事の意味の「事後的な開示」の可能性への期待が口にされたと記憶している(見えない放射能に汚染された土地の風景は、それでも将来的に何かを伝えうるだろうし、定点カメラがかろうじてとらえた爆発の映像も将来にわたって検証され続けていくだろうし、東松照明も何かが開示されることを期待しつつ何十年も前に撮った写真にこだわり続けている、等々)。ファロキの丹念な読解は、そうした開示のひとつの模範的な例であるだろう。また、『無常素描』のように、あえて撮影された場所や日時を示さずに被災者の言葉を連ねていくやり方は、ファロキ的な立場からすれば、被災の状況の問題含みの「イコン化」ということになるのかもしれない。

二番目に紹介した事例は、クロード・ランズマンの『ショアー』(1985)である。ランズマンが映像資料をいっさい用いずに、犠牲者・加害者・傍観者による証言だけによってユダヤ人の「絶滅」過程にせまった背景を、もっぱら先行研究に依拠して、(1)「絶滅」過程の映像資料の不在、(2)「絶滅」という出来事そのものの再現・証言不可能性、(3)証言者の身体に刻まれた記憶の「再演」という3つの観点から整理した。

これらの論点はすでによく知られているが、いま改めて吟味する必要があるのではないか。ユダヤ人の「絶滅」という出来事の特異性を強調したランズマンの言説を、カタストロフの表象一般の話に安易に結びつけるのは軽率かもしれないが、特に原発事故は本質的に不可視の出来事であるという点で、表象不可能性の議論と響き合うところがある。

最後の事例としては、ある意味ではランズマンの態度とは対極的なジャン=リュック・ゴダールの『映画史』(1988-98)を取り上げ、そこにドキュメンタリー的な力を備えた映像によってホロコーストの悲劇を救済するという疑似神学的なモチーフがみられること、またそれが映像をひたすら幸福なものとみなす一種の映像崇拝的な発想に裏打ちされていることを指摘した。映像に対する根底的なオプティミズム――むろん、それは批判されるべき『映画史』の弱点にほかならない。だが、おそらく、それなくしては、ファロキが行っているような丹念な「事後的な開示」もありえないだろう。

実は、「アウシュヴィッツ」の表象を介して「震災」に目を向けるという枠組み自体がはたして有効なものたりえるのかどうか、ずいぶん自問自答した。言うまでもなく、未曾有の複合災害である今回の「震災」と組織的に行われた大量虐殺であるホロコーストは、両者がともに人間の想像力の限界に挑むようなとてつもなく巨大なカタストロフであるという一点を除けば、まったく性質の異なる出来事だからである。いまもって、比較が有益なものなのかどうかの答えは出ていないが、「アウシュヴィッツ」に映像がどう向き合ったかを考えることが、「震災」をめぐる映像の状況を見据える際の一つの視座を与えてくれることは確かではないだろうか。