les signes parmi nous

堀 潤之(Junji HORI) 映画研究・表象文化論

『ふたりのヌーヴェルヴァーグ』公開に寄せて

ゴダールトリュフォーの出会いから決別までの軌跡に焦点を当てた『ふたりのヌーヴェルヴァーグ』Deux de la vague (2010)の劇場パンフレットに解説記事を寄稿した(この作品は、K's cinemaで上映中。大阪では第七藝術劇場にて8月27日より公開)。

堀潤之「ヌーヴェル・ヴァーグを知るための12のキーワード」、『ふたりのヌーヴェルヴァーグ』劇場パンフレット(樋口泰人・月永理絵編集)、セテラ・インターナショナル、2011年7月30日、25–29頁。

パンフレットには山田宏一の「想い出のヌーヴェル・ヴァーグ」と題された珠玉のエッセイや、監督のエマニュエル・ローランと「脚本」のアントワーヌ・ド・ベックの対談、詳細で便利な関連年表と人物紹介が収められており、ヌーヴェル・ヴァーグへの手軽な導入として有益なものに仕上がっている(ド・ベックに関しては、このエントリーも参照)。

わたしが解説した12のキーワードは、以下のとおり。これを読めば、ヌーヴェル・ヴァーグの誕生に至る映画史的な背景がひととおり理解できるはずだ。

この解説記事を書くに当たって特に参考にしたのは、拙訳によるコリン・マッケイブゴダール伝(この本はゴダールのキャリアと同じくらい、その歴史的・文化的背景にもページを割いている)のほか、山田宏一トリュフォー、ある映画的人生 (平凡社ライブラリー (422))、ド・ベックらによるフランソワ・トリュフォー、主に細川晋・遠山純生・吉田広明の執筆によるヌーヴェル・ヴァーグの時代 (紀伊國屋映画叢書 3)(この本はかつてエスクアイア マガジン ジャパンから出ていた同名の本の大幅な改訂版で、格段に内容が充実している)、ユリイカ1989年12月臨時増刊 総特集ヌーヴェル・ヴァーグ30年、リチャード・ラウドの映画愛―アンリ・ラングロワとシネマテーク・フランセーズ、ダドリー・アンドリューのAndre Bazinといった書物である。ミシェル・マリーのLa Nouvelle Vague: Une Ecole Artistiqueや、Richard NeupertのA History of the French New Wave Cinema (Wisconsin Studies in Film)などのより学術的な傾向の強い本も参照している。このようにヌーヴェル・ヴァーグ関連の書籍は大量にあるのだが、山田宏一増補 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌 (平凡社ライブラリー)ほどヴィヴィッドにヌーヴェル・ヴァーグの時代を活写した本は世界のどこを探してもないことを改めて痛感する。

トリュフォー、ある映画的人生 (平凡社ライブラリー (422))増補 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌 (平凡社ライブラリー)ヌーヴェル・ヴァーグの時代 (紀伊國屋映画叢書 3)ユリイカ1989年12月臨時増刊 総特集ヌーヴェル・ヴァーグ30年

フランソワ・トリュフォーゴダール伝Andre BazinA History of the French New Wave Cinema (Wisconsin Studies in Film)

さて、『ふたりのヌーヴェルヴァーグ』は、ゴダールトリュフォーの友情と離反の物語を軸にしながら、映画史的・文化史的背景にもきちんと目配りしており、よくできた教育番組といった印象を受ける。語られている内容にさほど新味はないものの、何より、ふんだんに記録映像が使われており、コンパクトに分かりやすくまとまっているのが良い。その記録映像も、今となっては、DVDのボーナスやYouTubeなどで手軽に見られるものも増えたが、恥ずかしながら、この作品で初めてその存在を知ったり、改めて強い印象を受けた映像もあった。

たとえば、ゴダールトリュフォーシネマテーク・フランセーズの重要性を訴える映像には、胸を打たれるものがある。1968年2月に突如解任されたシネマテーク館長のアンリ・ラングロワに対する無条件の擁護(ゴダールの『映画史』3Bで、ラングロワがほとんど聖人なみの待遇を受けていたことを思い出そう)は、すでに政治的な方向性をめぐって離反の兆しが見え始めていた二人の映画作家を束の間、結びつけたのである。

また、アンドレ・S・ラバルトとジャニーヌ・バザンが手がけたドキュメンタリー・シリーズ『われらの時代の映画作家』のヌーヴェル・ヴァーグ編からもゴダールのインタヴューが引用されている。ロベール・ヴァレーとラバルトが1964年に手がけた『それ自身によるヌーヴェル・ヴァーグ』La Nouvelle Vague par elle-mêmeには、1995年に再編集されたヴァージョンもある。かつて日本でEMIから発売されていたビデオ『ヌーベルバーグ』はおそらくその一部(あるいは全体?)である(わたしはこの日本版しか見たことがなく、オリジナル版をいつか見てみたいものだ)。

ふんだんに引かれる映像資料のうち、とりわけ貴重なのは、映画の最後の方、ゴダールの政治的な過激化とトリュフォーの『アメリカの夜』の保守性が対比されるあたりでその一部が引用される一本のフィルム・トラクトである。フィルム・トラクト、あるいはシネ・トラクトとは、68年の5月革命のさなかに16ミリで匿名的に撮られた3分程度の「アジビラ映画」で、たいていは闘争のスチル写真をつなぎ合わせたものだ。匿名的な「作品」であるとはいえ、ゴダールによるものは、スチル写真の上に手書きで書かれた文字などによってすぐに判別できる。ここで引かれているのは、以下の5つの映像である。

  1. 街路に倒れ込んで頭を抱えている男の写真に、「コーン=ベンディットをダッハウヘ」というド・ゴール派の反革命勢力のスローガンが手書きで書かれている。
  2. 白紙のまわりを取り囲むように「明白な真実」Les vérités évidentesと2度書かれており、中央部分でそれがLes vers i thé Eve i Dante(ウジ虫/詩、茶、イヴ、ダンテ)と分解されている。
  3. CRSと地面で頭を覆っている男(1と同一人物にも見える)。写真は左に90度回転させられている。
  4. 中央に「明白な真実」と書かれ、「〜に属する」appartiennentという動詞がさまざまに分解されて登場する(à part, appar, appar tiennent)。
  5. 黒衣の花嫁』の画家ファルギュス(シャルル・デネル)が壁面に描いたジャンヌ・モローの絵の前でポーズを取るトリュフォーの写真。そこに手書きで「allah/philosophie/bourgeoise」と書き込まれ、全体を通じて「明白な真実はブルジョワ哲学に属する」と読める。この写真は、ジル・ジャコブの記事「セーヌ川沿いのハリウッド」Hollywood sur Seineから取られていると思われ、著者名と記事名が大きく映っている。

わたしは以前、この論文(PDF)で、ゴダールのいくつかのフィルム・トラクトを分析したことがあるが、ここで引かれているものは見たことがなかったし、何らかのかたちで見る手立てがあるのかどうかも分からないのだが、全体がどうなっているのか非常に気になるところである。

『ふたりのヌーヴェルヴァーグ』は、『大人は判ってくれない』撮影前のジャン=ピエール・レオのオーディション風景のフッテージで終わる。レオ少年の才気煥発ぶりと役を得ることへの熱意がひしひしと伝わってくる貴重な映像だ。『勝手にしやがれ』に出演したジーン・シバーグが、オットー・プレミンジャーの『聖女ジャンヌ・ダルク』のためにオーディションを受ける姿はたしかマーク・ラパポートのドキュメンタリーで見たことがあったけれども、ジャン=ピエール・レオのこの映像はたぶん見たことがなかった。1959年に『大人は判ってくれない』がカンヌ映画祭で監督賞を得たことでヌーヴェル・ヴァーグが華々しく幕を開けたとするなら、この映像はヌーヴェル・ヴァーグのいわば起源にあるとも言える。見る者の胸を熱くさせずにはおかない映像である。