les signes parmi nous

堀 潤之(Junji HORI) 映画研究・表象文化論

ピエール・エテックスの復活


ピエール・エテックス(1928-)の初期主要作品(長編5本と短編3本)を収録した5枚組のDVDボックスが11月の初めにアルテから発売された(販売元のサイトはここ)。権利がらみのいざこざのため、およそ20年間にわたって見ることができなかった作品群であることを思えば、これは快挙と言ってよい。修復過程を経て蘇ったこれらの作品群は、DVDの発売に先駆けて、ラ・ロシェル映画祭を皮切りに今年の7月以降フランス各地で上映されており、わたしもその機会に全作品をスクリーンで見るという僥倖に恵まれたのだが、DVDボックスには、レトロスペクティヴには含まれていなかった『メリエスの悪夢』Le Cauchemar de Méliès (1988)という4分間のヴィデオ短編などのボーナス映像のほか、『秀才』La Grosse têteと題された112ページの洒落た「本」(いわゆるブックレットではなく、きちんとした作りのハードカバー)も入っている。エテックス自身が構想したこの本は、それ自体、「作品」と呼ぶべきクオリティを誇っている。みずからのキャリアを時系列順にたどりながら、そこに映画作品からの画像はもちろん、彼自身の手による絵画やスケッチ、彫刻の写真などをちりばめた作りになっており、「道化師」エテックスの多彩な才能を堪能することができる。


若きピエール・エテックスが、『ぼくの伯父さん』を準備していた頃(1954-56年)のジャック・タチのかけがえのない協力者であったことは、フランシス・ラミレスらの豪華本(Francis Ramirez et Christian Rolot, Etaix dessine Tati: Portrait d'une collaboration, ACR, 2007)などによってすでによく知られている。『ぼくの伯父さん』のポスターが、エテックスによるものであることも周知の事実と言ってよいだろう(この映画の二種類のポスターに関しては、シネマテーク・フランセーズのこの特集記事が参考になる)。また、ロベール・ブレッソンの『スリ』(1959)に、スリの一人として(魔術師カサジ演じるスリの首領の仲間として)カメオ出演していることや、近年のオタール・イオセリアーニ作品(『月曜日に乾杯!』や最新作の『役立たず(未)』Chantrapas)でも80歳前後とは思えぬ矍鑠たる姿を見せていることも、それなりに知られた事実と言えるかもしれない(なお、イオセリアーニによるエテックスについての短い文章が、ここで読める)。だが、彼が1961年以降、まだブニュエルの脚本家になっていなかった若きジャン=クロード・カリエールと組んで、およそ十年にわたって、優雅にして夢幻的な喜劇的世界を展開したその内実は、同時代を生きていない世代の観客にとっては、これまでおよそ知りうる機会がなかったと言ってよい。

1965年にパリのホテル・リッツでエテックスと出会ったジェリー・ルイス*1は、のちに「人生で二度、私は天才とは何であるかを理解した。一度目は辞書でその言葉の定義を見たとき、二度目はピエール・エテックスと出会ったときだ」という言葉を残している。その言葉に嘘偽りはなく、これほどまでの才能が、20年の長きにわたって私たちの視界から遠ざけられていたことは、ほとんど犯罪的な出来事であると言ってもいいほどだ。

エテックスの喜劇の特徴は、カリエールとの共同監督というかたちで1961年に撮られた最初の2本の短編『破局』Ruptureと『幸福な記念日』Heureux anniversaireにすでにはっきりと現れている。前者のエテックスは書斎で恋人に別れを告げる手紙を書こうと奮闘するが、ペン先が折れたり、切手が手に貼り付いたり、机が傾いたりといったハプニングのため、どうしても書き上げることができず、挙げ句の果てにみずからが中庭に落下してしまう。後者では、妻が記念日に豪華な料理と共に待っている自宅に車で帰ろうとするエテックスが、渋滞その他のトラブルに巻き込まれ、やっとのことで帰宅すると、待ち侘びた挙げ句にご馳走をすっかり平らげて居眠りしている妻の傍らで、寂しくサンドイッチをほおばる。一連のコミカルな「失敗」や「妨害」が流麗に振り付けられ、そこに一抹のメランコリーが据えられるという展開によって、見る者はそこはかとない悲しみを帯びた笑いの境地へと誘われる。

こうしたメランコリックな笑いは、1963年の長編第1作『恋する男』Le Soupirant(邦題の『女はコワイです』は作品の一面しかとらえていない)では、タイトルが示唆するとおり「恋い焦がれる男」という特権的な形象を見出す。天文学の研究に没頭して部屋に篭もってばかりのうぶなエテックスが、父親から結婚を命じられ、伴侶を捜しに街に出るというのがストーリーの軸なのだが、ある日テレビで見た歌手のステラにぞっこん惚れ込み、結局は失望に終わる実らぬ恋に邁進する姿は、おかしいながらももの悲しい。1968年の『大恋愛』Le Grand amourでは、社長の娘との婚姻によって工場経営者となったエテックスが、若い秘書に恋い焦がれ、妻の傍らで床につくときに夢想にふけるのだが、自分のベッドがあたかも自動車のように田舎の風景をなめらかに進み、途中でその娘を拾ってドライブをする(そして、他のベッド=自動車が事故に遭って立ち往生していたりする)という夢幻的で忘れがたいシーンがある。ブニュエル的なイマジネーションが、喜劇の方へと向かった例と考えることもできるだろう。

だが、エテックスの最高傑作は、やはり何と言っても1965年の長編第2作『ヨーヨー』Yoyoだろう。前半の30分くらいでは、舞台が1925年に設定され、億万長者エテックスのお城のような大邸宅での、大勢の召使いに囲まれた退屈な生活がサイレント映画風に展開されるのだが、その際のサウンドのコミカルな強調の仕方は、タチの『ぼくの伯父さんの休暇』における効果音の強調に直結するものだ(先ほど注で言及したエナメル靴のシーンは、この文脈で登場する)。この億万長者は大恐慌ですべてを失ったことを機に、サーカス団の曲馬師の女性と、彼女との間にかつてもうけたことが判明した6歳くらいの息子ヨーヨーとの3人で、キャラバンに乗って地方巡回をするようになる(その間、フェリーニの『道』への目配せなどもある)。後半では、成人したヨーヨー(エテックスの二役)はサーカス界の大物となり、ほとんど実業家のように多忙な生活を送り、ついには、父親がかつて手放さざるを得なかった大邸宅を買い戻す。大勢の客を招いての新居お披露目パーティーは、2年後に公開されることになるタチの『プレイタイム』(1967)の長大なレストランのシーンに迫るできばえと言ってよい。

お披露目パーティーには、ヨーヨーの両親(つまり、大邸宅の元の持ち主である父親と、曲馬師の母親)もやって来る。しかし彼らは、パーティーに参加するどころか、車から降りることすらなく、困惑するヨーヨーをあとにして去っていく。そのとき、パーティー会場に何の前触れもなく象が入ってくる——かつて、同じ大邸宅の中庭で、サーカス団がたった一人の億万長者の観客を前にして興行したとき、邸宅内に迷い込んだ幼いヨーヨーの前にのっそりと姿を現したのと同じサーカスの象だ。ブルジョワの招待客たちは、闖入した巨象にとまどって逃げ惑う。だが、退屈な大ブルジョワの生活に陥ることをすんでのところで逃れたヨーヨーは、象の背中に乗って悠々と邸宅をあとにする…。『ヨーヨー』は、タチに比肩しうるラディカルな喜劇の追究であると同時に、きわめてロマネスクなフィルムでもある——わずか90分ほどの間に、大金持ちの倦怠と破産、隠し子とその認知、サーカス芸人の自由、大恐慌や戦争、テレビというメディアの活用法、そして幼年期の記憶の噴出と絶対的な自由に向けた逃走といった要素が詰め込まれているのだ。それでいて、全体のトーンが優雅なメランコリーに染められている点は、見事と言うほかない。

DVDボックスにはその他にも、4つの抱腹絶倒のエピソードからなる『健康である限りは』Tant qu'on a la santé (1966)と当初はそれに含まれていた短編『絶好調』En pleine forme、そしてヴァカンスに辛辣な視線を向けた呪われたドキュメンタリー作品『桃源郷』Pays de cocagne (1971)が含まれている*2。また、エテックスのフィルモグラフィーを見渡せば、『フェリーニの道化師』(1970)への出演や、強制収容所に入れられた道化師を主人公とするジェリー・ルイスの未完の問題作『道化師が泣いた日』(1972)*3への協力、さらにはパリのオムニマックス・シアターのラ・ジェオード向けに『私は空間に書く』J'écris dans l'espace (1989)を作ったことなどにも興味をそそられる。だが、ここでは最後に一言だけ、パリ近郊のブレティニーの劇場で去る12月17日に見ることのできたエテックスの《Miousik Papillon》なる演し物に触れておきたい。82歳を迎えて間もないエテックスによる自己紹介の失敗のギャグで幕を開けるこの舞台は、寸劇や、ジャズのミニコンサートや、マイムや、手品(エテックスの持ちネタである中国の手品師)など雑多な演し物からなっているが、やはり後半で道化師ヨーヨー(エテックス)が出てきてからが断然おもしろい。若きマイムらと掛け合いながら、何かと駄々をこね、手品や楽器演奏の進行を妨げ、観客の女性に一輪の花を捧げ、後ろ手でコンサーティーナを弾く…。その優美さを形容するには、「道化師とは活動中の詩人である」というヘンリー・ミラーの言葉(『梯子の下の微笑』)を引くに如くはないだろう。

*1:このとき、お互いの国の言葉をしゃべらない二人は、ルイスの『底抜けもててもてて』とエテックスの『ヨーヨー』のいくつかのシーン——とりわけ、大富豪のエナメル靴を踊り子がゆっくりと脱がす官能的なシーン——をお互いにパントマイムで再現しあったという。René Marx, Le métier de Pierre Etaix, Editions Henri Berger, 1994, p.18, p.48を参照。

*2:エテックスの映画作家としてのキャリアに不幸な終わりをもたらした後者の作品については、2010年に行われたJean-Philippe Tesséによるインタヴュー«L'été d'Etaix», Cahiers du cinéma, nº 657, juin 2010, pp.73-79に詳しい。

*3:この作品のスクリプトは、ここから参照することができる。また、上述の『カイエ・デュ・シネマ』のインタヴューによれば、ジェリー・ルイスとは、別に『B.A.B.E.L.』という作品の企画もあったという。