les signes parmi nous

堀 潤之(Junji HORI) 映画研究・表象文化論

ゴダールの新しい評伝

 ジャン=リュック・ゴダールは、2010年12月3日に80歳を迎える。節目の年ということで、いくつかの企画が進行しているようだ。

 まず、トリュフォーの評伝でも知られるアントワーヌ・ド・ベックによる、800頁以上に及ぶゴダールの評伝が、3月10日にグラッセから出版されるらしい(たとえば、この記事などを参照。ISBNは2246647819。書影も掲載されている)。

 アントワーヌ・ド・ベックは、『カイエ・デュ・シネマ』誌の歴史を1951年の創刊から1981年までたどった2巻本(Histoire d'une revue, 1991)や、フランソワ・トリュフォーの評伝(セルジュ・トゥビアナとの共著、稲松三千野訳、原書房)でも知られているが、他にも多くの著書がある。また、ゴダールトリュフォーをめぐるエマニュエル・ローランによるドキュメンタリー『Two in the Wave』の「脚本」も書いている(ここでフランス語の採録が読める)。本作は、日本ではセテラ・インターナショナルが買ったと報じられている。

 ゴダールの評伝は、これで3冊目となる。1冊目は、Colin MacCabe, Godard: A Portrait of the Artist at Seventy, 2004だ。拙訳により『ゴダール伝』(みすず書房、2007年)として出版されている本書は、一言で言えば、ゴダールを20世紀の歴史と映画の歴史のコンテクストのうちに巧みに位置づけた試みだったと言えるだろう(かつて書いたごく簡単な紹介文を参照。また、ウェブ上で読めるものとして、田代真氏による書評が有益である)。

ゴダール伝

ゴダール伝

 2冊目は、Richard Brody, Everything Is Cinema: The Working Life of Jean-Luc Godard, 2007である。『ニューヨーカー』のジャーナリストの手になる本書は、膨大な数の関係者へのインタヴューと、これまた膨大な量の同時代的なプレス資料、そして著者自身による考察が、作品ごとに分けられた章立てを通じて、渾然一体と展開する力業ではある(わたし自身、著者に乞われて、ゴダールの日本訪問に関する雑誌記事一式を送付したのが2002年のことだったから、相当な年月をかけて本書が準備されたことは間違いあるまい)。

 しかし、かなり乱暴にゴダール反ユダヤ主義や近親相姦的な欲望を「論証」しようとするなど、問題含みの本であることは間違いない。何よりも、学術的な研究成果をほぼまったく無視して、インタヴューと各種ジャーナリズムの記事をもっぱら情報源としている点で(マッケイブもインタヴューは行っていたが、これほどゴシップ的ではなかった)、大著の割には浅薄な印象を免れない。それでも、ブロディ自身の作品分析がすぐれたものであればまだよいのだが、その点でも性急な「人生」への結びつけが目立つ。

 そのことは、『カイエ・デュ・シネマ』のアメリカ特派員だったこともあるビル・クローンによる長大で辛辣な書評「Kinbrody and the Ceejays: Richard Brody’s Everything Is Cinema」を読むだけでも十分に理解できるだろう。謎めいたタイトルの意味は本文を読むと分かるが、ブロディを「Ceejay」=「CJ」=「Cultural Journalist」と名指すのは言い得て妙である。また、エイドリアン・マーティンによるもう少し短いが、同様に批判的な書評「Contempt」も一読に値する。

 ともあれ、アントワーヌ・ド・ベックであれば、マッケイブほど学術的に偏ることもなく、逆にブロディほどゴシップすれすれの通俗的な伝記の罠に陥ることもなく(と書いていて思い出したが、マッケイブ本もカリーナがらみの箇所だけ、妙にタブロイド新聞的ではあった)、バランスの取れた「評伝」を書きうるのではないか。発売が楽しみである。